2年前の2019年、翌年2020年に創立70周年を迎える明和高校音楽科は、70周年記念プロジェクトを立ち上げることになった。


各種コンサートには各所で活躍する卒業生をゲストに迎えたり、公開講座や公開レッスン等も充実させ、何より2021年の定期演奏会は第70回を迎えるため、記念演奏会とし、日本に誇るコンサートホール、愛知県芸術劇場を押さえた。


音楽科教員陣はこの定期演奏会に向け、2年にわたるプロジェクトに胸を躍らせていた。


日の目を見ることはなかったが、僕は見開き4ページのプロジェクトパンフレットも作成していた。


いよいよ年が明け2020年、新年度を目前にした2月29日、突然の休校要請と共にプロジェクトはスタートすることになった。


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この2年間、本当にたくさんのことがあった、いや、無くなったと言うべきか。


2年後にまで長引くようなことになるとは当初は誰も予想していなかったが、結果直前まで予断を許さない状況となった。


プロジェクト立ち上げ当時、メインは第70回記念定期演奏会での、ベートーヴェンの「第九」演奏だった。


個人的な思いではあるが、ソプラノのソリストは音楽科主任の谷津理恵子先生に務めて欲しかった。

谷津先生は中々首を縦に振らなかったが、月日をかけて口説き落とすつもりだった。


しかし、それどころか世の中の状況が好転することはなく、学校のスペース的な事情もあり3学年合同で合唱の練習をするということがなかなか叶わず、今年度に入ったところで第九を諦めなければならないことが決定した時は、絶望に近い気持ちだった。

音楽科とはいえ高校生、あの「第九」を仕上げるためには長期的な練習は必須だった。


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第九の代案などあるわけがないと、僕は中々ポジティブな発想に至らなかったが、常に前向きだった主任の谷津先生は、記念定期演奏会での第九は叶わなくとも、何か全員で演奏できる、とりあえずは各学年での合唱練習でもなんとかなる作品をという想いを強く持ち続けて下さり、頼ったのが藝大時代の先輩、作曲家の伊藤康英氏だった。


吹奏楽で中学高校を過ごした僕にとって、伊藤康英氏は今風に言うなら「神」である。


その話を聞いただけでも驚きだったが、伊藤さんが話に乗ってくださり、すぐに提案してくださった作品があると聞いてさらに驚愕した。


そしてその作品こそ「悲しみから歓びへ」。

伊藤さんが作られた今のこの世の中へ祈りを込めた吹奏楽曲、それを今の明和高校音楽科のために、合唱と弦楽器も入れて管楽器もオーケストレーションし直してくださると言う。


詳しい楽曲解説は伊藤さんが名文を記して下さったのでそちらを参照していただきたい(本文最下部にプログラム画像を掲載)が、この作品は、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番、いわゆる「悲愴」の第2楽章のメロディが、伊藤さんの天才的な対位法により、なんと「第九」へと繋がっていくのだ。


初めてスコアを見た時は、本当に震えた。

「奇跡」だと思った。


伊藤康英氏は、本当に「神」だったのだ。


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本番当日、「悲しみから歓びへ」のリハーサルをホール客席の特等席、いわゆるプラチナ席で聴いた。


音楽科の卒業生や講師の方々にご協力いただいた弦楽器、お世辞にもバランスが良いとは言えない編成の管打楽器、そして声楽、ピアノ専攻生たち、音楽科全員の音が愛知県芸術劇場コンサートホールに響いた。


第九が、ホールに響いたのだ。


リハーサルだというのに涙を流す生徒も見える。


僕も涙を堪えながら、一列前で見守って下さった伊藤さんに興奮しながら「凄いです、感動しました…!」と伝えると、伊藤さんは「本当だね!ベートーヴェンの音楽だからね!」と仰った。


確かにそうかもしれない、しかし伊藤さんの仰る通りベートーヴェンの音楽ではあるが、その音楽をたった6分で感動へ導いた伊藤康英氏の音楽に僕は心が震えた気がしている。


そのままステージに向かい、伊藤さんは音楽科の生徒たちを手放しに誉め、アンコールも提案して下さった。(アンコールについてはまた別記事で触れたい)


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16:00に開演した第70回記念演奏会は、ラストの「悲しみから歓びへ」を迎える時にはすでに19:30だった。


モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲を終え(この時のことについても別記事で触れたい)、客席は最高潮に温まる中、「悲しみから歓びへ」が響く。


最後の音の余韻がホールから消えるのを待たず、客席からは喝采が上がった。


涙が溢れる。


予想を遥かに超える「この瞬間」だった。


ステージ袖で手が痛くなるくらい手を叩きながら、扉の小窓から客席を覗くと、伊藤さんがプラチナ席で讃えられているのが見える。


袖にはけてきた指揮者の小森康弘氏にアンコールをお願いした。


どうしても生音を浴びたかった僕は、モーツァルトでソリストを務めた卒業生、フルーティストの河合雪子さんと共にちょうど客席からは見えないステージ袖後方の小さなスペースに忍び込んだ。


ハープのカデンツァ(これについても別記事で触れたい)に続き、再び、「悲しみから歓びへ」が直接胸に響いてくる。


さっき聴いたはずの音楽、ではなかった。


生のオーケストラの音、歌声、それはモニターで聴いていたそれとも、リハーサルで聴いたものとも違う、生徒達の魂の振動だった。


満点の星空が頭に浮かんだ。


いつしか冬の熊野で見た、頭上に煌めいた宇宙。


ふと河合さんを見ると、後輩たちの演奏に目からボロボロと涙を流している。


僕も、もうステージの光景はハッキリと見えなくなっていた。


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終演。


ステージの裏では3年生たちが涙を流しながら感動と寂寥の間に咽ぶ。


「音楽の力」をこれほどまでに感じたことが今まであっただろうか。


彼ら、彼女たちは、おそらく一生の中で二度と味わえないかもしれない音楽的体験をした。


それは僕も含め、あの会場にいた多くの人たちが感じたことかもしれない。


1年生が、歌っていたパイプオルガン前の2階席からステージ裏に降りてきた。


初めての定期演奏会を経験した1年生の顔は、これまでの1年生とはまるで違う。

この瞬間を見るのが毎年の楽しみの一つだったが、今年はまだ全然違う顔をしている。


この数分間が現実かどうか認識できないようにも見える。


「これが本物の音楽なんだよ。」


思わず呟いたが、誰の耳にも届いていないようだ。