私のYouTubeやこのブログにて、度々シュタイベルトについて取り上げている。

しかし、実際彼がどんな人なのか知らない人が大多数なのが現実なので、改めて書いてみようと思う。

プロの音楽家でも彼の名前すら知らない人も多いような、そんな作曲家だが、どのような人生を歩んでいたのだろうか。


ダニエル・シュタイベルトは、1765年、ドイツのベルリンに生まれた。

ベートーヴェンが1770年生まれのため、同世代と言えるだろう。

シュタイベルトは、キルンベルガーの元で音楽を学んだ。調律師であればキルンベルガーの名を知らない人はいないだろう。調律法の名前にもなっている、あのキルンベルガーだ。

そしてさらに興味深いこととしては、キルンベルガーが私の敬愛するヨハン・セバスティアン・バッハの弟子だったということだ。

これはつまり、シュタイベルトは大バッハの孫弟子ということだ。



ここからは彼の代表作をいくつか挙げていこうと思う。先に言っておくと、誰もが知っているレベルのヒット曲は無い。彼の存命中、またその後しばらくヒットが続いた曲をいくつか挙げていく。

・ピアノコンチェルト第3番「嵐」

3楽章が特にヒットし、演奏される機会も多かったようだ。

ロマン派の超絶技巧でマニアに人気な、フランスの作曲家シャルル・ヴァランタン・アルカンのop1は、なんとこのピアノコンチェルト「嵐」の3楽章の変奏曲なのだ。このことからも、この曲の評価の高さが窺えるのではないだろうか。


・ピアノコンチェルト第8番

これは合唱付きのピアノコンチェルトだ。

音楽史的にもそれなりに重要な位置付けになると個人的には思うのだが、大ヒットではなかったようだ。


・オペラ「ロミオとジュリエット」

かの有名なプロコフィエフの同名の曲とは別のものだ。

シュタイベルトの死後、同名の有名曲がヒットするまでのしばらくの間は、「ロミオとジュリエット」といえばシュタイベルトだったようだ。


・ピアノ曲「アダージョ」

子どもの発表会のオススメを検索すると出てくることがある。そのためか、YouTubeにも多数の演奏があげられている。


彼の妻はタンバリン奏者だったため、タンバリン付きの作品も多くのこしている。



続いて、彼の人となりについて書いていく。

彼には代名詞のような有名なエピソードがある。

ベートーヴェンとの即興演奏の勝負にて大敗したことだ。

このことはシュタイベルト自身にとって大きな屈辱だったようだ。


それと多少関係があるのか、無いのか、彼は傲慢で、人間性に問題があったようだ。

詐欺まがいの行為をしたり、債務から逃れるために他の土地へ移ったり、人間性の問題だけでは片付けられないレベルのことも多数あったようだ。


そんなシュタイベルトだが、当時はピアニストとして、作曲家として、それなりに評価されていたようだ。

ピアノ演奏の技術的な部分について、また作曲の際の全体の構成力については、否定的な意見もある。

しかし、ペダル技法の発展には少なからず貢献したようで、これについては論文を書いている学者もいる。

彼の音楽的な特徴としては、トレモロ好きだったことだ。

ピアノコンチェルト「嵐」でも、モスクワの破壊でも、これでもかというほどトレモロが使われている。

トレモロの存在感のある響きを気に入っており、頻繁に使っていたようだ。