BWV1068管弦楽組曲第3番、皆さんきっとお聴きになったことがある方も多いと思う。
序曲、アリア、ガボット、ブーレ、ジーグで構成されており、「G線上のアリア」として知られるアリアや、ガボットは特に耳にする機会も多い。
この曲をピアノソロで演奏しようとimslpで楽譜検索をかけてみると、全曲を編曲しているものとしてはMartucci編のものとRaff編のものが出てくる。
Martucci編のバージョンを見てみると、まずその音の多さに驚く。
アルカンと殴り合ってるのかと思うような超絶技巧だ。
Raff編はそれに比べると原曲の雰囲気を大事にしているが、それでもなかなかの音の多さだ。
また、BWV1056チェンバロ協奏曲(ヴァイオリン協奏曲g-mollとしても知られている)も、ピアノソロのStradal編の楽譜を見る機会があったが、こちらもあまりの音の多さに笑ってしまうほどだった。
なぜ音が多くなるのかは非常によく分かる。
アンサンブルの全ての音を拾おうとするとそうなるのだ。
当然だ。様々な楽器で大人数で演奏しているものを1人で演奏しようとすればそうなる。
しかし、それ以外の編曲法もある。
バッハがヴィヴァルディやマルチェッロやテレマンなどの協奏曲を鍵盤独奏用に編曲したものがある。(BWV972~987)
楽譜を見てすぐ、バッハの美学が存分に反映されているのが分かる。
対位法としての美しさ、そして原曲の協奏曲としての音色、「バッハらしさ」、全てが反映されている。
多くの音をそのまま拾って超絶技巧で弾くのではなく、重要な音の流れを拾って対位法として絡ませているのだ。
この編曲法がどれくらい難しいのかは想像がつかないほどだ。
もちろん私もやってみたいとは思うが、どのようにして組み立てればいいのか、と基本的なところから疑問でいっぱいになってしまう。
つまり何が言いたいかというと、私たちがバッハのアンサンブル楽曲を独奏用にしたいと思う時、全ての音を拾うだけでは不十分ではないかということだ。
バッハがこれほどまでに愛し貫いた対位法を、再現できたらとても理想的だも思う。