この日の譬え話は一筋縄ではいかない含みを持っていると思う。天国は王が王子のために催した婚礼に似ていると言うのである。招かれた客たちはそれに応じないばかりか使いの者を殺してしまった。王は怒ってこの者たちを滅ぼしてしまう。代わりにそこらじゅうの善人も悪人もが婚礼に招かれたが、礼服を着ていなかった者だけはつまみ出されてしまった。神の招きには誰でも応じられるが、無条件と云う訳ではないことを示唆している。(マタイ22,1‐14)
「ああ、いまわれ婚宴に行かんとして」BWV162はヴァイマル時代の室内楽的カンタータで、婚礼に相応しいのか自問するようなバス・アリアから出発し、神と一つとなる喜びが表されるアルトとテノールの二重唱へと至る。
「装いせよ、おお、わが魂よ」BWV180は、神と同一化する喜びが全編に亘って歌い上げられる感のあるコラール・カンタータ。
「われは行きて汝をこがれ求む」BWV49はバスとソプラノの二重唱カンタータ。両者はイエスと人間の魂を表わしている。通常、合唱で歌われる最終コラールでさえ、ソプラノのコラールとバスのアリアとが対置された二重唱曲。