三位一体節後第19日曜日 | J.A.Ludwig(山田康弘)のブログ

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この名は、尊敬する3人の音楽家からお借りしました。

 三位一体節後に度々引用されてきた癒しの物語は、本日の中風患者を癒すものを含め、いかに当時の人々がそれを願っていたかを表わしていると思う。(マタイ918

 「われ悩める人、われをこの死の身体より」BWV48は、死に瀕した人の苦しみ、嘆きを冒頭合唱で描き、それは罪の帰結であると説かれる。後の2曲のアリアではメヌエット風のリズムで救いが暗示される。

 「われはいずこにか逃れ行くべき」BWV5の冒頭合唱は、活発ではあるがあてどもなく彷徨う魂を描くかのような印象がある。キリストの血のうちに救いを見出すと、その内に浸るかのようなヴィオラのオブリガートによるテノールアリアが来る。バスのアリアは、陰府の軍勢との戦いと勝利を表わす。

 「われは喜びて十字架を負わん」BWV56は、有名なバスのソロカンタータ。自ら負うべき罪の十字架が7度の音程で象徴されている。後半に明るいアリアが来るのは定型であるが、最後は「来たれ甘き死よ」の合唱で終わり、救いを死の平安のうちに見出そうとする。