私が大人のピアノ好きさんのために、ピアノ好きさんが集える企画の運営を始めてから、かれこれ8年になります。どなたでも気軽に参加できるよう、さまざまなことを考え、広く宣伝もし、これまでたくさんの方々がやってきてくださいました。

ここでわかったことは……、

とても多くの方が来てくれた、楽しんでもくれた、「これをきっかけにピアノ再開します」「始めます」という人が数えきれないぐらいいた、

が!!

ピアノが続かない人が多すぎる!

(再開、始めたけれど)ピアノ、やめました、

という人が多すぎる!!

ショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーン

ということです。「始めました」と言った方で、その後も続いている人の数より、圧倒的に「やめました」の人のほうが数が多い。「やめました」の言葉を聞くと、とてもがっかりししたものです。

私としては時間もお金も様々な段取りをしてやっと「ピアノを楽しむ場」を提供しているので、ホントに力抜けます。こうした場は「自然に」できているのではないのです。会場の貸主と話をつけ、会場費用がかかる場合は相談し、参加者からは一人いくらいただくか、会場もいつでもあいているわけではないので、日程の調整も必要です。そうした「下準備」をきちんとやっているから、参加者は参加するだけでいいし、しかも「参加して楽しかった」と思って帰ってもらえるように内容も工夫しています。なので「ピアノやめました」とか「もう行きません」と言われると、とってもガッカリし、かつ「せっかく手間暇かけて場を作ってあげているのに」と自分が馬鹿らしくなることもしばしばでした。

この8年間を振り返ると、あまりにもそういう方が多い、というかそういう方々ばかり!な気がします。そこで理由と考えてみると―――。

ピアノを続ける、というということは、とても難しいことなのだ、とわかってきました。

私の場合は練習も本番も積み重ねるのが当たりまえ、練習は毎日数時間、コツコツ地道にやるのが当たり前、と思ってやってきました。楽しいばかりではありません。「どうしてこれができないの」と嘆くこともしばしばです。「ピアノ道は山登りとおなじだ」とも思います。

が!!どんなことでも、ものを覚え、できるようになる、というのは簡単なことではありません。

「難しい」と思うぐらいでピアノをやめたら、ほかのどんなことを始めたとしても続かない、と思っています。人間、ひとつぐらい、続けてやっていること、を持ちたいものです。そういうこともあり、オノレの人生のなかでは、ピアノが大変なのは当たり前、それでもやってみる、それが「ピアノ道の常識」と考えていました。ところが、「始めました」「けどやめました」という人にとっては、どうやら違うらしい…。

鍵盤を押せば鳴るので、「なんだ、弾くのって簡単!」とも思もわれるようで、それで始める人が多いようです。家に子どもが弾いていて今は弾かれないピアノがあるから、とか、孫が習っていたけどやめちゃって、もったいないと思って…、などきっかけはいろいろ。とにかく「飛びつくのが早い(ピアノを始めよう、と思ってしまうのが早い)」のが、大人ピアノの特徴のようですね。

問題はその先です。

さあ、始めました!はいいけれど、曲を「ちゃんと」弾きたい、それには譜面が読めなければならない、譜面を読むにはそれ相応の知識と訓練が必要とわかると、そのためには果てしない苦労が必要ともわかります。「いい歳して苦労ばかりでつまらない」「苦労してまで練習するのは面倒」となり、そこに仕事や家庭や病気その他の要因が重なり、「練習なんかできない、やってる暇ない」「面倒だからや~めた」というコースをたどるようです(そういう方のなかには、いつかまた再開してみるけど、結局やめてしまう、を繰り返す方もも多いらしい)。

それから、とあるピアノ講師の動画サイトで「大人ピアノで上達しない人の理由」というのをアップしている方がいて、そのなかで「なるほど」と思ったことがありました。

「そういう人は、大抵、自分の力量以上の難度の高い曲を弾こうとしている。難度が高いのでその壁を乗り越えられず、挫折する。最後まで弾き切れないで、挫折した経験ばかり積むと、成功体験がないので、上達できない」、と大まかこのような指摘がされていました。

上達のためは、できたことを積み上げていく、ということが絶対に必要だと思います。

出来なかった曲、弾けなかった曲、そんなのばかり増えても、ちっともおもしろくないです。

面白い!弾けた!と思うには、「自分の力量で弾ける曲」をどんどん弾いて、少しずつ難しい曲にもチャレンジしていく、いきなり全部が難しい曲でなく、1曲のなかの数小節の、しかも左手に難しいところがある、でもそれを克服したら、今後はそういう箇所はすぐ弾けるようになる、というような「小さく、低い壁」でいいので、「乗り越える」「弾けるようになる」体験を重ねていくことです。

人間はできないことばかりだと気がめいって、やる気がなくなります。

他者からみたら「なんだ、こんな簡単な曲」と思われてもいいんです。

とにかく1曲でも多く、弾けました!という曲を増やしていく。そうすると楽しいし、少しずつ難しい技術を習得していくことで、成長できます。と、体験者は語る、で、時間はかかるけど、結局はいちばんの早道だと思います。

が!大人ピアノの方々は、そういう、「一つずつ階段を上がる」の辛抱ができないようです…。

今はAのことしかできない、しかし自分の憧れの○○曲を弾くには、Aができるだけでは無理とわかっている。○○曲を弾くには、基礎の基礎からB、C、D、F…と進めていかないと弾けないのはわかっている、でもそれ、すっ飛ばしてやりたい、というふうに、一から積み重ねする辛抱、根気強さがない、できない、やってられない、なぜなら「歳だから!」「人生の残り時間がないから!」。

その気持ちは痛いほどわかります。でもピアノという楽器は、年齢に関係なく、難しさは平等なんです。難しさが分かった時、「でも続けたい」となるか「ならやめよう」となるか…、圧倒的に多いのが、「や~めた!」「熱冷めた!」になる人の数です。

ピアノは始める人が100人いたとしたら、やめる人も100人いる(つまりほぼ100%続かない=私の体験から引き出された値です)。そういう楽器なのだと、わかりだしてから、やめていく人にたいして「せっかく場を、機会をつくってあげたのに」的に考えるのはやめました。

最低限、やめていく人には、

やめる理由を「ピアノの難しさのせい」にしないでほしい!

と思います。ピアノはそういう楽器、すぐには弾けるようにはならない楽器なのですから!!

「ピアノをやろう」と思ったのは、

「ピアノを選んだ」のは、「あなた自身です」

ということを自覚していただきたい。誰かに強制されたのではなく、自分の意思でやろうと思い始めたのですから、やめるときに、ひとのせいにしたり、ピアノのせいにしないでください。

そこは自分自身を、率直に、また厳しい目で見つめていただきたい。それがきちんとできないと、また同じことを繰り返すかもしれません。挫折体験を繰り返すだけになります。それこそが一番つまらないので、ピアノを始める方・再開する方は、それなりの覚悟というか「何があっても続けるぞ」という強い意志が必要な楽器だと自覚して、いどまれるようお願いします。

さらに別の角度からも、もっとはっきり自覚していただきたいことがあります。

あなたが、数ある楽器のなかでピアノを選んだのには、必ず、なにがしかの、

ピアノとの縁があったのだ

ということを忘れないでいただきたい。

深いにしろ浅いにしろ、あなたと縁がある楽器だったのです。

その縁を自分から絶つのはとてももったいないこと、どうかその縁を大切に思っていただきたい。

三線もあれば、ギターもあればウクレレもあれば、バイオリンもある、数ある楽器のなかから、

「コレ」と決めたからには、そう決めるだけの縁があったのですよ!!

私がピアノを続けていて良かったと思ったことは、「ピアノには人を救う力がある」と実感したからです。人とは自分のことですが…。ピアノを始めて4年たった秋、私が生後2週間から世話をしてきた愛ネコが20歳でこの世を去りました。我が娘のように愛してきた存在でした。目のまえで命がなくなる、こと切れるというのは、想像できない辛さ、ショック、慟哭でした。沖縄は暑いので亡骸をいつまでも家に置いておくことはできません。悲しみや辛さを整理できないのに、だびに付さなければならない。小さなビンに残った愛ネコの骨は粉となっています。その時私はどうしたかというと、ピアノの譜面台に愛ネコの若かりし頃の写真を置き、その時練習していた、ショパンの「ロマンス」ピアノコンチェルト第1番第2楽章のテーマ、をくりかえしくりかえし、夕方部屋が真っ暗になるまで弾き続けたのです。おいおい泣きながら。「あの時ああしてあげればよかった」「ここはこういう手当をしてあげればよかった」という後悔ばかりが頭をよぎり、もっと長生きできたのではないかと自分を責めるのでした。しかし、涙が枯れはてるまで弾いたら、なぜかふいに「母ちゃん、私は十分生きたから、これからは母ちゃん長生きするんだよ」という愛ネコの声が聞こえてきたのです。同時になんだか愛ネコが亡くなったことが、すんなりと受け入れられている心持にもなっていたのです。

もしこの時!!私がピアノを弾けなかったら、その時ショパン「ロマンス」を弾けなかったら、私はいつまでもいつまでも立ち直れず、どうしてよいかわからず、後悔ばかりを思って前に進めなかったでしょう。この時本当に「ピアノ弾けて良かった!」「ピアノやっている意味がわかった!」と、実感したのです。日々の練習は地味で地道で、進歩や成長はなかなか実感できないことも多いです。難しいことの連続だし、1曲弾けるようになるにはとても時間もかかります(すぐ弾けちゃうという魔法はありません)。お稽古事の一つ、と考えていると、余計にそうなるかもしれません。

でも、ピアノ、音楽は、こういうふうに自分の生活のうんと身近にいて、生きる力になってくれ、励ましにも慰めにもなってくれていたのです!!

という体験から、私は一人でも多くの大人のみなさんに

「ピアノ、やろうよ!」

「きっとあなたを幸せにしてくれますよ!」

と、おススメしているのです。ただし、そう実感できるまでには私が4年かかっているように、数年間はかかります。頑張ったら必ず、返ってきます。必ず生きる支えになってくれます。

私の体験から証言できます。

ピアノは生きる力、音楽は生きる力!

難しくて、簡単に弾ける楽器ではありません。「どうやったらいいの」とお困りの方は、とりあえず、カルチャーセンターなどの集団で学ぶ場でなく、個別指導のお教室をお勧めします。進み具合、理解の仕方は個人個人違うので、集団で習っていると、個個人の疑問点を解消しステップアップするのが難しい。それでいい方はいいですが、「この数年間、この曲のここの弾き方がずっとわからない」「うまくならない」と感じている方、そこをどうにか解決したい、と思う方には、やはり個別指導のお教室をお勧めします。

以上、長くなりましたが、52歳から初心者でクラシックピアノを始めて、12年、「ピアノ種まき人郁」の、思っていること&ご提案でした。

♪♪

そういう沢村郁が開催している

「ピアノを弾きたい大人の方へのお手伝い」の場として、「大人のピアノ勉強会」を開催中です。

今年度は3月度まで予約はいっぱいですが、4月からの新年度も毎月第1土曜日の午後、開催いたします。お一人30分。勉強代金は1000円。定員制であること、会場への費用支払いがあるので、予約はキャンセルできません。キャンセルされる方は会場まで1000円お支払いに来ていただきます。

ここがわからない、これはどうしたらいいの、鍵盤の見方がわからない、音符の種類、リズムの取り方がわからない、指の動かし方がわからない、などなど、お困りごとを解決いたします🎵

※簡単にはできるようにはなりません。ご自身のやる気、根気が必要です。その点ご了承ください。

お申込みは kohagura303@galaxy.ocn.ne.jp までメールに氏名・携帯電話番号・希望受講時間帯をお書きください。

ではでは、大人・中高年の皆さま、ハブアナイス・ピアノライフでいきましょう!!

🎵🎵