自傷と自殺、この二つは目的は全く違います、でもやっている事自体の意味あいは同じです。

なぜ自傷してはいけないのか?なぜ自殺してはいけないのか?

そんな問いをかけた時に聞いたことのある台詞が返ってきます。

幸せになれないから、親からもらった大事な体、神様が貸してくれた体、だから大切にしなきゃいけない。


でもこんな台詞で僕たちが納得できるわけがありません。

自分を呪い、親も嫌いで、神も信じてない人には完全に意味のない言葉です。


駐輪禁止、未成年は煙草を吸っちゃいけない、大麻はやるな、勉強しなきゃいけない、リスカや自殺をするな、

それがいけないなら、なんでその根拠についての言及はいつも曖昧なんですか?

僕は何も知らないんです。


僕は全ての過ちや苦痛は無知からやってくると思っています、


愛や感謝とはなんなのか、何を道しるべとしての理想に掲げるべきなのか。

愛、感謝、理想。これを欲求と快楽によって認知しようとする人は苦しみます。

これを自分以外に依存してもそれは偽者で、すぐに壊れてしまいます、壊れた時の痛みは激しいと思います。

楽しく暮らしてる人は理屈で説明ができないにしても直感でこれを知っています。

知らない人は残念ながら苦しむ事で何が悪なのか学んでいくしか無いのかもしれません・・・。


でも、あまりにも今の日本にはそうゆう事柄についての知識が供給されてない気がします。

平均的に国民の教養レベルが上がって、もう神様とか言う抽象的な表現ではあまりにも足りな過ぎるんです。なぜそういう根本的な事柄について書かれた物がこんなに少ないんですか?


愛や感謝という言葉はとてもよく使われているのに、なんでその意味を語る人はこんなに少ないんですか?

一番大事なことだって言うなら、なんで誰も教えてないんですか?どこに、誰に聞いたらいいんですか?誰がしってるんですか?

義務教育の期間に僕たちは大人からそういう根本的な事柄について何を学んだんでしょうか?

道徳といえばお年寄に席をゆずるとかで、一番初めに学ばなきゃいけない事は誰も教えてくれなかった。


煙草のマナーなどが話題になっているのを最近よく見かけます。


僕は喫煙者です、僕は個人プレイな人間なので、人のいない所でゆっくり喫煙しますが、やっぱり集団行動しているとマナーが悪くなるのは仕方ない感じもします。

図書館とかでも、一人でいる時は静かにできるのに、友達が一人いるだけでうるさくなります。

授業中の私語もそうです、

僕はこれを集団行動のデメリットだと思っています。


マナーの無い人が多いせいでこっちの方にも連帯責任が回って来てイヤな思いをする事もあります。

友達に携帯灰皿を勧めたりしているんですが、やはり一人一人が自覚を持たない事には解決しません。


僕はいつも見てます、煙草をポイ捨てする人はだいたいどんなゴミでもポイ捨てします。

僕の大学の学生のマナーは最悪です、そこら中に吸殻やペットボトル、空き缶、公売で買った弁当の容器、

全部その場に捨てて行きます。


大事なのは何故ポイ捨てがいけないのかという事を彼らに説明する事だと思います。

街が汚くなるとか、環境汚染とかの他に、散歩中に愛犬が火傷する事もあるそうです。


この前公園に自転車を止めていたんですが、帰ってきたらハンドルに迷惑駐輪はやめましょうと言う張り紙が貼ってありましたが、どんな風に迷惑なのかわからなかったので疑問なだけでした。

確かに全ての過ちは無知から来ます、マナーを知らない人は無知なだけなんです、悪気はないんです。

だから知っている人がちゃんと説明しましょうよ、いつも○○禁止、だけじゃなくて。


あと、みんなが座るところにつばを吐くのはかなりの実害がありますので、喫煙者の皆様には少し気を使っていただきたい。

バックを置いた所に大量のつばがあtyてdtfyぐひじょになった事がありました、ホントに気持ち悪かったです。(夜だったので下がよく見えなかった

親の影響ってすごいですよね、蛙の子は蛙だったり、無意識に親と同じ職種についてたり、親を憎んでる人からすればもう呪いなんですよねwww


僕の話です。

父親は何かにつけてセンスの無い人です、そして人に気を使うとか空気をよむ事ができません、母などの家族が明らかに機嫌の悪い時に饒舌に話しかけていって怒られる人です(空気よめww

この人が母に悪い苦労をかけているのも事実です。


母はヒステリックです、まるでのび太の母のように機嫌によって変わります。僕を叱る時は僕が悪い事をした時ではなく機嫌の悪い時です。過保護で過干渉に育てられました。いちばんキツイのは不健全な思い込み。色々ととても可哀想な人なのですが、とても酷い事をされたので信用はしてまいせん。家はいつでも彼女の罵声で眠れないほどにぎやかです。


幼い頃から夫婦喧嘩の罵声の中で育ちました、罵声を聞いて泣き、両親の影響を受けた兄は僕を殴っていました。

僕は今、両親を憎む事はやめましたが、母は自分の親を憎んでると言っています。


生きる事が苦手な少年を作るためのレシピは以上の通りです、恥さらしとは思いつつ1つの証言だと思ったので書きました。


書きたい言葉はたくさんある、でも日記にかくのとブログに書くのじゃ訳が違う。

未来の自分へのメッセージを書いた日記なら特になにも考えず自分の気に入ったように書ける。


最近悩んでいました、ここにどんな文章を書けば良いのかわからなかったからです。

僕は癖のある話について自分も声をあげたいと思ってブログをはじめましたが、癖のある話をしようとすると癖のある文章になってしまいがちです。でもそれが本当の自分なら良いと思うけど。


癖の強すぎる文章は読み手に嫌われると思う。

癖の強すぎる文章は読み手との間に自然と壁を作ります。自分と同じような文章をかく人には共感され親近感を持たれると思いますが、多くの人に読まれたい場合は良くないようです。


あと下品な文章も良くないですね、ある意味パンクだったりhiphopだったりすればそれなりにOKかもしれませんが。ラフになりすぎるのも良くないですよね。


なかなか自分の書く文章に自信がもてません、読んだ人が暗い気持ちになったり、怒りを感じたり、気持ち悪くなったりするかも知れないと思うと途中で書くのをやめてしまったりしてます。

でも、ある程度は勇気を持って正直な気持ちを公開する事も必要ですよね。

図書館に「なぜ自殺してはいけないのか」というタイトルの本がありました。

なかなかこの問いに答えられる人はいません、直感的にそれがわかっていても、自殺志願者を感情で説得する事なんて無理でしょう。


もしもここに魂があって、死後も意識が続くなら自殺しても楽になれない事になります。

でも魂の存在は証明するのは難しそうです、僕は不思議な体験などから魂はあるんじゃないかと思うようになりましたが。

ではなんで自殺はいけないと言うんでしょうか、

この話はどこから始めたらいいんでしょう・・・。

とりあえず、僕はその根本に感謝の心の欠如があると思うんです。

自分の命に感謝し、存在している事を喜べるような人が自殺を考える事はかなり稀なはずです。


ではなぜ自分の存在が感謝すべき物なんでしょう、

こんな誰にも必要とされていないのに・・・(苦しんでる人がよく言う台詞)。


自殺は自分を殺す事かもしれませんが、やらんとしてる事は人殺しと同じです。

自殺を肯定するという事は人殺しに賛成する事と同じです。


自分を生んでくれた親に感謝しろとは言いますが、親を憎んでいる人はどうしたら良いんでしょうね。

そこでもう1つ聞いたことのある台詞を取り出してきます。

父と母がいたから僕がいる。それだけじゃない祖父2祖母2がいたから僕がいる。と続けます、これを曾じいちゃん、曾曾じいちゃんと続けていくと自分が存在するために必要な人の人数が2の自乗で大量に増えていきます。このうちのたった一人でも欠けたら僕はいません。


こうなると自分の命は自分の物だからどうしてもかまわない、とは言えなくなります。


自分でも他人でも人を殺すと言う事は、決して一人を殺しただけに留まらず、その存在を否定し、その先祖を否定し、その子孫を皆殺しにする事かもしれないんです。


とりあえず今日はここまでで・・・

その理由は1つに統一できるんでしょうか、僕はその理由を三つ挙げられます。


その理由の1つに人間の分類整理というのがあります、学歴によってレベルを分ける事で社会的な人事が簡単になるからです。これについてはどこかのブログで詳しく書いてあったのですが、どこだったか忘れてしまいました、すみません。


二つ目は平等と平和の象徴的な役割です。

義務教育によって、貧富の差や階級、所属、人種に関係なくみんなが同じ教育をうけられるシステムはそうゆう意味では素晴らしいかもしれません。


みっつ目は一番簡単で、勉強をしていく上で一番大事な物です。

それは学ぶこと自体に価値があるから、という事です。


僕は今大学に通っていますが、学問を学ぶ事に喜びを感じています。僕は高校生の時は三つ目の理由がわからなかったのと、大学受験、学歴社会という事が大きくのしかかっていたので、喜びなんて感じる事はできませんでした。

でもやはり、大学で学ぶ学問と、義務教育や高校で学ぶものは少し違う感じがします。

また、これまでの勉強が大学で学ぶために必要な基礎であるという事も実感しています。


勉強がつまらないと思うなら、学校で学んだ知識を材料に立派な教養をつくってみてはどうでしょうか?つまらない知識が、意義のある教養に変わる事がわかれば、勉強も楽しくなるかもしれません。


なんで勉強なんてしなきゃいけないんだ、小学生の時にみんなが言っていました。

でも今の子供達が自分と同じ教育をされていないと聞かされると、大丈夫なのか?と感じるのは何故でしょう。





僕は問題のある家庭で育ちました。

そりゃあこういう家庭に育てば生きるのが苦手にもなるわな、っていう感じで納得するような家庭です。


親っていう存在は運命じゃなくて宿命ですよね、一生ついてまわります。

人はそれぞれいろんな人生を生きています、病気になったり、体の一部が動かなかったり、

そういう人と僕の苦痛が同じ物だといったら失礼かもしれませんが、

物のレベルが違うだけで、宿命という同じ物だと思うわけです。


ある友人がこう言いました「今の生活になんの不満はない」

皆さんはこの言葉をどう解釈するんでしょうか、僕は素直にそれはすごいなぁ、と思いました。


僕は別に自分の人生を呪っているわけではありませんが、不満大有りですよ。


これでいいの? 僕が苦しくなった時に言う台詞です。

苦しみや痛みを経験する事は大事かもしれませんが、なかなか苦しんでると目の前にある事も人並みにやれないぐらい鬱になるので、苦しみを学ぶ経験といってもなんだか生活がめちゃくちゃになってきます。


いつまで続くんだろう。

自殺が何故いけないのか知っているので、自らという事はないでしょうが、早く楽になりたいですね。www

もっといろんな事が知りたい。


近いうちに税率が上がるらしいですね、小泉任期が終わったら早速なんでしょうか。


この国にはたくさんの借金があると、子供の頃から聞いていたし。政治家さん達が教科書どうりに無駄なお金を削減していただければ、国民が増税に反対する理由もないんですが。

すごいですよね、日本の政治家の根性、ここまで来てもまだ粘るんだ・・・ってゆう。


早く平和にしてほしいよね(子供側ww

多分それがわかったら苦しみがやわらぐんじゃないでしょうか。

僕が言葉にしたかった事が結構辞書に書いてありました。一部僕の解釈ですが書きます。


愛・・・かけがえのない物として、深い絆で結ばれている物と信じ、感謝し、大事に想い、大切にする。

    

    立場・利害に囚われず、全ての人や物の存在価値を認め、尊重する事。


愛という言葉は良く聞くわりにはその定義を頭に入れている人は少ないと思うのです。

でも実際、この言葉を聞いただけじゃ理解できないという人もいると思います。

やっぱりこれが実感になった時には、心が暖まっている筈です。

みなさんは知っていますか?知らない人はたくさんいます。

確かに苦しまない人々から見れば、苦しんでいる人々なんて馬鹿みたいにみえるかもしれません。

実際に心の問題で苦しんでいる人々の多くは自らの無知や勘違いによって苦しんでいます、

僕もそうです。


ちょっと前の事ですが、テレビで引きこもりの更正塾の特集をやっていました。

その中で一人の少年の発言に対して、ナレーションが「幼稚」という言葉を使いました。

確かに幼稚ですよ、でもテレビという公共的な物で人を馬鹿にしているような雰囲気を作って良いものでしょうか。


確かに少数のようですが、なんらかの心の問題を抱えている人々は人が思っている以上にたくさんいます。

その事を知るのは誰にとっても決してつまらない事ではないように思います。