今読んでいる本は在住の県内でも5館の図書館にしか置いていない貴重な本。

それが「言海の研究」と題された定価1万円の本。


この中で以下の文が出てきた(287頁)。

−以下引用−
これまで、大槻文彦と山田美妙の関わりについては、詳しく論じられてこなかった。また、論じられるとするならば、『日本大辞書』における批評や、『廣日本文典別記』における一種の回答に限られていたように思われる。そのような中で、真島めぐみ「〈新収集資料紹介・翻刻)山田美妙 大槻文彦宛書簡」(『ふみくら』八十七号、二〇一五年)は、早稲田大学図書館の新たな収蔵資料として、明治二十五(一八九二)年七月十日付大槻文彦宛山田美妙書簡を紹介する。真島めぐみ(二○一五)は、当該書簡について、「一見謙虚な文面の中に垣間見える強気な態度や、まわりくどい言い回し、末尾に文彦の些細な誤植を指摘するところ、特徴的な文字など、この書簡には美妙らしさがよく表れていて、大変興味深い」(十頁)と述べる。「些細な誤植」の指摘とは、『言海』の見出し「わかどしとり(若年寄)」の「と」が、「よ」ではないかという指摘である。『日本大辞書」は、「わかどしより」として立項している。平成十六(二〇〇四)年に筑摩書房から出版された『言海』(底本は、昭和六年三月十五日発行の六二八刷。これをもとに欠損などを他の版で補う)と、架蔵の『言海縮刷』の第二版(明治三十七年五月十日発行)を確認したところ、いずれも 「わかどしとり」の見出しは修正されず、「と」のままである。そのため、山田美妙の指摘が後の刷りに反映されな かったことがわかる。真島めぐみ(二○一五)は、「資料の内容については稿を改め考察を加えたい」(八頁)と述べ るように、この書簡の封筒の表裏と書簡本文の写真、そして翻刻と注を示している。この翻刻された記述をもとに、 検討を行ないたい。


まず、本当に「わかどしとり」となっているのか確認する。
参考にしたのは発行の時代順に以下の4冊。
無料で閲覧可能な
「①国立国会図書館データ(明治24年初版)」

および私物の「言海」3冊。
「②Kindle版(明治24年初版)」
「③大正13年発行」
「④昭和6年発行(ちくま学芸文庫版)」


①国立国会図書館データ(明治24年初版)

②Kindle版(明治24年初版)

③大正13年発行(第533版)

④昭和6年発行(第628版)ちくま学芸文庫版


おわかりだろうか❓
発行の時代順に4つ並べた。
語釈はすべて同じ。
しかし、見出し語は同じではない。
山田美妙の指摘通り初版は「わかどしり」だ。
版を重ねて533版となった大正時代には「わかどしり」に修正された。
ここまでは良い。
問題はさらに版を重ねた④628版で、また「わかどしり」に戻ってしまっていることなんです😱
何故こうなってしまったのか。

私のような「言海」初心者に考えられることは一つ。
問題の④は、ちくま学芸文庫版であるが、この本は628版を基に作成されているがそれはあくまでも底本。欠損や汚れは他の版本で補っている。これは巻末にもその旨記載がある(下の写真)。
おそらくこのページがこれに該当したのではないかというのが私が出せる唯一の答え。
実は、同じことは上で引用した文のオレンジ部分にも書かれている。

しかし大事なことは『後の刷りには反映されなかった』という部分。これは明らかに著者の間違いだ。
一度533版で指摘を反映しているのに、(すくなくともちくま学芸文庫版では)戻ってしまったのだ。

補ったあとのチェック漏れかもしれない。

これは筑摩書房さんに確認と修正をしてもらうしかないだろう(指摘済み。未回答。)。

また、この内容は「言海の研究」出版社の武蔵野書院さまにも指摘しておいた(現時点で未回答)。『後の刷り』を第二版と、ちくま学芸文庫版でのみ行ったのが悪手。ちくま学芸文庫版が他の版で補っていることを知りながら、さらに他の版で確認しなかった著者には責任があろう。



今回、「言海の研究」と題された本を読んでみましたが
、私の手元にある資料が少なすぎて本文の内容を確かめる術がなく、完全に受け身の状態でした。後半に入ってようやく上記のような『確認』を取ることができたのですが、今はこれだけで充分だろう。

この本は、もう少し資料と知識を集めてから再チャレンジしようと思います。