今月19日に、小名浜港から豊間まで行ってきました。小名浜港はすぐに行けるくらいなのですが、豊間までとなると結構な距離なので、友人に付き合ってもらいました。

 
小名浜港は結構な数の船が既に停泊していました。ボケてて分かりづらいですよね?陽の光が強かったんですよ><





次に江名に行ったんですが、 燃料タンクらしきものが
記念碑(?)の上に。友人の話だと「津波の後からそのまま」らしいです。




 で、豊間海岸。防波堤のほとんどは津波でもぎ取られてしまってるので、土嚢のようなもので補強しているようでした。このすぐそばに私の学生時代の先輩が住んでいた家があります。
前の記事でも書きましたが、基礎しか残っておらず、ここらへんが庭だったかな?ここが玄関だったかな?ってレベル。









 
先程の海岸からすぐ近くの学校なんですが、校庭に廃材の山が。
 手前の青いブロック周りはプールがあったところ。ここも砕けたコンクリートなどが散乱していてひどい状態でした。
廃材に至っては、こうていのフェンスをなぎ倒しかねないくらい山積み。どう処理されるかわかりません。




ピンボケ写真を交えて、すごく簡単に書いてきましたが、3ヶ月経っても何も変わっていないようです。
相変わらず海沿いの地区では空き巣騒ぎが多いようで、私たちも長居すれば疑われそうでしたので、早々に引き上げました。
海沿いはこのような状況ですが、市街地と見比べると別世界ですね・・・
市長は視察にいらっしゃってるんですか~?

震災後、音信不通だった人が、職場にひょっこり来ました。

どうやら、県外に脱出していたらしく、今日帰ってきたとのことでした。


しばらくして落ち着いたらご飯でも食べに行くかーと言われ


あー日常なんだなぁ・・・とちょっとしんみり。

勤務日数、時間、生活スタイルはまだまだ今までどおりにはいかないけれど、少しずつ、確実に1歩進んでいるんだとは思います。


最近では報道もめっきりなくなってしまって、東北の他の被災地はどうなっているのか把握しにくくなってきていますが、1日でも早く日常を取り戻せることを、切に願います。

ついってばかりのるるるです(;´Д`)


以前避難所にいた先輩の話をしましたが、その後です。

仮設住宅の抽選には残念ながら落ちてしまったとのことです。

で、結局のところ、県借り下げのアパートに入ることになったようです。ただし1年?みたいです。


その1年で家をどうするか。仕事をどうするか。決めないといけないんですよね・・・?

震災後、正直仕事があるとは思えないんですよねぇ・・・ハロワも人で溢れていましたし、うちの職場でもバイト募集した直後、すごい量の問い合わせがありましたし。


東北は過去類に稀を見ない就職難に陥りそうです。というか陥ってます。


復興 という言葉がすごくヘヴィに感じますね。