いろいろとHPを見て、メールしたり電話したり

してアメリカのロサンゼルスにある会社に

決めました。


会社によって金額に差があり、金額的にも

無理せずチャレンジできると思い決めました。


貯金をすべて使うのは不安だったので、

友達に銀行に勤めている人がいたので

アメリカにいくとは言わず、不妊治療をしようと

思っているからお金を借りたいと相談しました。


そこで200万円借りようと考えていたので

そう言うと、「金額が高いので病院にいって

計画書・予定書みたいなのを出してもらって」

と言われました。


しかし、日本で不妊治療をするわけではなく

まして病院にかかっているわけでもないので

そのような物は出してもらえるわけがありません。


けど、他の銀行で借りるより確実に借りやすいと

考えていたので、不妊治療は人によって使う薬や

日数が違うからとかいってどうか違う方法で

借りれないものか相談しました。


今、銀行もお金を借りる人が少ないみたいで

友達も借りてもらいたかったのか、電化製品・着物

とか高い金額の見積書でいいからもらってきてと

言いました。早速、量販店に行って200万円近く

の電化製品の見積書をもらってきました。


通るか不安だったのですが、無事に200万円借りる

ことが出来ました。


お金の準備も出来たので、早速卵子提供してもらえる

会社に申し込みました。


旅費の事も考えて、9月の今時期が安かったので

明日出発の便で行くことにしました。


今回の渡米は、主人の精子を取って、卵子を

提供してくれるドナーを決めます。


それだけで帰る方もいるそうなのですが、せっかく

ロサンゼルスまで行くので、ディズニーランドと

ユニバーサルスタジオにも行く予定です。


友達にも、行っただけで帰ってくると変に思われるので

観光もして帰ろうと思い、4泊6日で行くようにしました。


普通の旅行とは違うので、あまりウキウキ感はありません。


ついたその日に、手続きは終わるのでその後は

多分楽しめると思います。


なので、明日から25日までブログもお休みさせていただきます。


帰ってきたら、どのような状況だったか説明したいと思います。


がんばってきます。


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次の日、また話し合いをしました。


主人が「もうお前の気持ちは何を

言っても変わらんとやろう?

お金の問題ではないけど、400万と

いっても結構な金額だけど、用意できん

金額ではない。俺も真剣に考えた。

本当にお前がその方法までしても

子供がほしいのなら、おれもほしいから

その方法でチャレンジしてみようか?

本当に後悔せんとやろ?」


私は「ずっと1人で考えてでた結論を

あなたに話したんだから、後悔は

しません。こういうことに理解をしてくれた

あなたに感謝します。けど、このような方法で

つくった子供のことを私の母親にしか

話したくない、子供にも一生話さない

今の日本では理解してくれる人は同じ悩み

持っている人しかいない。友達に話しても

きっと理解してくれない。それなら、話さない方が

この先の人生、いいような気がする」と

説明しました


主人も「俺もそう思う。肩身の狭い気持ちで

子供を育ててもきっと、このようにして子供を

授かったことを後悔すると思う。

一生俺たち夫婦、お前の母親との秘密にしよう」

と言ってくれました。


二人の気持ちが固まったので、母親に話しました。

母は、びっくりしていました。

そのような方法までしても私が赤ちゃんを

ほしいと思ってもいなかったようです。


しかし、母は私の気持ちをわかってくれました。

「どのような手段をとっても私はあなた達の子供を

孫として可愛がっていくよ。あなたと子供が

遺伝的につながっていなくても、あなたのお腹で

育ち、出産をするのだから、あなたたちの子供に

まちがいはない。がんばりなさい」と言ってくれました。

涙が出ました。


そこまでして子供をつくらないでいいじゃないと

言われるのではないかと少し不安に思っていたけど、

私の今までの人生を一番見ていてくれた母親だから

私の気持ちをすぐに理解してくれたのかなぁと思いました。


父親には、母も話さなくていいといったので私達夫婦・

母親の3人の秘密ごとになりました。


次の日から、どこの会社に依頼するかHPを見て

メール・電話をしていろいろと尋ねました。


それが、6月のことです。


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2年ほど働き、営業職だったため、サービス残業・

ノルマがきつく、体の調子も悪くなったため

給料は良かったのですが、体の方が大事と

思い、やめました。


久しぶりに専業主婦に戻り、子育て中の

友達と遊んだりしていて、将来のことを考えるように

なりました。


友達には、この先いろいろと大変なことがあるが

それ以上にうれしい・楽しい事があるのに

夫婦2人の私にそれに匹敵するぐらいの

うれしい・楽しい事があるのだろうか?と

思いはじめました。


やっぱり子供がほしい・・・。


またインターネットで検索をしてしまいました。

「卵子提供」と・・・。


アメリカに何件かありました。

じっくり読み比べました。

料金も400万~600万と韓国に比べたら

とても高かったです。

しかし、400万なら貯金とローンを組めば

何とかなる金額でした。


今まで不妊治療をしたことがないため、

日本でお金を治療代に当てていないので

400万で出来るのなら、この先の人生を

考えれば、安いのでないかと考えていました。


2ヶ月ほど私1人で考えました。


結論は、やっぱり他人から卵子提供を

受けても子供は私のおなかから産まれる。

10ヶ月、おなかで育てるのだから母性は

生まれると思う。


夫婦2人の一生の秘密にしていれば、誰に

疑われることなく、私達の子供として育てて

いけるのではないだろうか。


よし、主人に話そうと・・・。


決心が揺らがないよう翌日主人に話しました。


主人は、ただびっくりしていました。

私がそのような事を考えているとは、まったく

予想していなかったようです。


私の気持ちをすべて主人に話しました。

HPも見てもらいました。


主人に「どう思う?」と聞きました。


主人は、「結婚する時はほしいとは

本当に思っていなかった。けど、友達に

子供が生まれ、増えてきて、その子供達と

接してくるうちにほしいという気持ちが

わいてきた。けど、そのような方法までして

子供をつくる意味があるのか。

俺の遺伝子は、残るけどお前の遺伝子は

残らん。そんな子供をつくって意味があると。

ちょっと考えさせて」と言いました。


次の日にまた話し合いました。

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結婚して何事もなく、3年が過ぎていました。


私より後に結婚した友達にも子供が産まれていたり

2人目がいる人が増えてきました。

主人も私も子供があまり好きではなかったのですが

友達の子供は、接する機会も多いため、

私達になれてくれて、とてもかわいく思えてきました。


子供ができないとわかっていても、3年経っているので

技術が進んでいることに期待し、また友達に進められて

日本でも有名な不妊治療の病院にかかりました。


いろいろと検査をしてもらいましたが、結果は

大学病院と一緒でした。


しかし、一言だけ違いました。


「今は日本ではダメだけど、何年か先では卵子提供を

受けて妊娠が出来ると思います。

子宮は、悪くないので卵子提供での妊娠は

可能です」とのことでした。


家に帰って、インターネットで調べました。


しかし、日本での卵子提供はこの先何年かかるか

わからないような内容ばかりでした。


そこで見つけたのが、韓国での卵子提供でした。


金額的にも200万円ぐらいだったので、

車を買ったと思えば・・・無理な金額ではないなぁと

思い、主人に相談しないで1人でインターネットで

調べては悩んでいました。


私の遺伝子が入らない子供を産んで

育てられるだろうか、かわいくないでも

かわいがれるだろうかなど、不安材料がいっぱいでした。


友達は、かわいくないでも自分の子供だから

かわいいよと言いますが、卵子提供を受けて

出産をする私にとって、自分の子供ではないから

そこが問題でした。


しかし、その時は主人に話をしないまま諦めました。


しかし、子供がほしいという気持ちは変わらず、

1年ぐらいしてまた、インターネットを調べたら

韓国での卵子提供が禁止になっていました。


その時のショックは大きかったです。


私は一生子供が産めないのではないか、なんで

あの時決断して卵子提供を受けなかったのか

などなど、1ヶ月ぐらい落ち込みました。


それから、今までパートしかしていなかったのですが

子供が産めないのなら、まじめに働こうと思い

ボーナスのある企業に就職しました。


応援よろしくお願いします

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結婚話は、なかなか進みませんでした。


私は、主人に「もう一度ひとりでゆっくり結婚の

こと考えてみて」といって、結論がでるまで

会わないようにしました。


結論がでるまで約1ヶ月くらいかかりました。


私の家に来て、私の部屋でもう一度

プロポーズをしてくれました。

本当にうれしかった・・・。


季節は、冬でした。


主人の仕事の関係で、結婚するなら

4月か、9月以降ということになりました。


今考えれば、一生に一度なので

ゆっくりじっくり結婚式のことを考えれば

よかったのに、また心が動かないか

不安だった私は、4月にしようといいました。


主人の家に挨拶に行ったときに、主人の

母から「今までのことは忘れて仲良くやって

行こうね」と言われました。


忘れることが出来るはずがありません。

嫁としては、とても悪い嫁だと思います。

両家ともに、今住んでいるところからは

近いのに、私の実家には主人と月に

1度は顔を見せに行くのですが、主人の

実家には、私は年に1度行くかいかないかです。


当然、嫁・姑の関係はうまくいっていません。

主人からも何度もうまくやってよと言われるのですが

「子供ができん人との結婚は反対」と言う言葉を

忘れることが出来ず、うまくやっていこうと言う

気持ちにもなれないと、主人に説明しています。


結婚が決まってからは、トントン拍子に結納から

結婚式まで何事もなく過ぎていきました。


応援よろしくお願いします。

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毎日書くことを目標にブログを始めましたが

なかなか毎日更新することができません。


このままでは、続かなくなってしまいそうなので

肩の力を抜き、目標毎日・無理でも1日おきで

がんばりたいと思います。


では、続きを書いていきます。


主人も私と結婚したいということを両親に

伝えたみたいです。すごく反対をされた

みたいです。

理由は、子供ができないから・・・


それから、何度も両親と話し合いをした

みたいなのですが、両親の気持ちは

変わらなかったみたいでした。


いろいろ主人も1人で考えたみたいでした。


2週間ぐらい主人と会いませんでした。


久しぶりに会った主人は、とても疲れていました。

両親に反対されたことで、主人の気持ちにも

変化がでていました。


「反対されてまで結婚して幸せになれるんかなぁ」


「私のことも大事だけど、両親のことも大事だ」


反対されることは、わかっていました。

けど、私からしてみれば今更という気持ちもありました。

だって、付き合っている時に万が一結婚という

話になるかもしれないので、私の体のことを

両親には話といてねと言って、ある程度は

話してもらっていました。

反対をするなら、その時に反対をされとけば

私も仕方ないという思いが強く、別れたと思います。


しかし、プロポーズをされた今、何でそんなことを

言われないといけないのという気持ちが強く、

逆に絶対結婚してやるという気持ちになりました。


いろいろと主人と話し合いをしているうちに

なぜ他人(主人の両親)に「子供のできんような

人との結婚は反対」なんて言われないといけないのと

逆に怒りさえでてきました。


好き好んで病気になったわけでもなく、卵巣を

摘出したわけでもありません。

楽しい時期の学校生活もできず、私の両親・兄弟

にも苦労をかけ、泣かしてきたのに・・・


結婚話が進まない理由を私の両親にもいえないので

なかなか話は進みませんでした。


応援よろしくお願いします・・・

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また、昨日の続きを書きたいと思います。


妊娠が自分の力では不可能とわかってから

なかなか主人と会う気分になれませんでした。


主人は、私のあまりの落ち込みようにどう言葉を

かけていいのかわからずにいたようです。


このまま、主人と付き合っていても私は

良くても主人には明るい未来が無いと思いました。

とっても大好きだったけど、私から別れを告げました。

主人は「まだ30歳まで結婚するつもりが無いので

このまま付き合っていてはだめなの?」と反対に

言われてしまいました。

未来の無い私と付き合っていることが、主人を

縛り付けているのだと思いもう一度別れを

告げました。


母にもこのことは伝えました。

母は、「もし別れても主人に対して何も思わない。

ただ縁が無かっただけよ。あなたの体を

理解してくれる人がきっといるはずだから」と

励ましてくれました。


1週間ぐらいして、主人が家に来ました。

きっと理解してくれて別れを告げに来たのだろうと

思っていたのですが、違いました。

「もう少し、付き合おう。急なことで理解できない。

今まで、子供のことなど考えたことも無いから。

で、僕が理解できてまた考えよう」とのことでした。


大好きで本当は別れたくなかった私なので、

将来が無いとわかっていても、別れを告げられるまで

付き合おうと決心しました。


それから、子供のことには触れずに1ヶ月が過ぎていました。

いつものように私の家で2人でテレビを見ていました。


すると、突然のプロポーズ。


何を言っているのかわかりませんでした。


主人に再度言いました。

「私は、赤ちゃんのできない体なのよ。結婚して

どうすると?こんな冗談やめて」と怒りました。


しかし、主人の顔は真剣でした。

「この1ヶ月いろいろ真剣に考えた。子供のことは

実際今はほしいとは思わない。けどこの先

どう気持ちが変わるかもわからない。だから

先のことは、考えず今のことを考えたら

結婚したいのは君だ」と言われ、何も言えませんでした。


「わかりました。お願いします」とその時は答えました。

本当にうれしかったです。涙がでました。


母にも伝えました。母は冷静でした。

「本当にあんたのことを理解してるのかなぁ。

子供ができないってことがどういうことか

わかってないんじゃないの」と言いました。


私は、主人とどうしても結婚したいという

気持ちをすべて母親に伝えました。


母は、わかってくれました。

父にも、伝えました。

父はよかったねと一言言ってくれました。


応援よろしくお願いします。

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またまたお休みしてすみません。

卵子提供のため、専業主婦をしているのですが

なぜだかいろいろと忙しく休んでしまいました。


では、続きを書きたいと思います。


主人とは、何度か別れの危機があったのですが

性格上のことで病気のことではそのような

話になったことがありませんでした。


付き合いも4年が過ぎ、私の年齢も26歳になって

いました。


病院にも月に一度、生理を起こすために薬をもらう

ためにかかっていました。


すると先生が、「年齢も良い頃やし、付き合っている人が

いるのなら一度、詳しく調べてもらったらどう?

大学病院に不妊について詳しい先生がいるから

かかってみたら」と言われました。

それもそうだなぁと思い、紹介状を書いてもらいました。


子供ができにくいことはわかっているので、どうすれば

子供ができるのか、卵巣は残っているので

どのような治療をるれば良いのかと聞こうと軽い気持ちで

病院にいこうと思いました。


自宅から約2時間かかり、都会にあるので、帰りに

買い物でもしようと、主人についてきてもらいました。


いろいろと検査したこともあり、その日には結果が

でなく、また来てくださいとのことでした。


検査結果を聞きに行く時も主人についてきてもらいました。


待っている時間が長いため、主人は近くの本屋に

行って来ると言って病院から出て行きました。


その日のことは、一生忘れないと思います。


先生から「残っているはずの卵巣が壊死しています。

子供は難しいでしょう。」と言われました。


何のことを言っているのかまったく理解できませんでした。


卵巣は残っているじゃないか、何で子供ができないの、

このことが頭のなかでぐるぐると回っていました。


診察室を出ると涙があふれてきました。

会計をしているときも、涙が止まりませんでした。

主人が戻ってきてなかったので、電話して

「迎えに来て」と言いました。

玄関で待っている時も、涙が止まりませんでした。


主人が来て、車に乗り込むと同時に声を出して

泣きました。主人が「どうしたと?」と聞いてきましたが

答えることができず、泣きに泣きました。


1時間ぐらいして落ち着きを取り戻したので

主人に病院でのことを話しました。

主人は何も言いませんでした。


そのまま、無言で家まで帰りました。


いつも主人は、家にあがって帰るのですが

この日は上がらずに帰りました。


母に病院でのことを話しました。

母は泣いていました。

父には、母から話してもらいました。

父もその話を聞いて泣いていたと

後から母に聞きました。


その日私は、一睡もできませんでした。

父も母も眠れなかったようです。


次の日、ショックのあまりおきる事ができず

仕事を休んでしまいました。


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昨日の続きを書いていきたいと思います。


中学を無事に卒業して、高校に進み

何事もなく月日は流れていきました。

しかし、その間生理が不順になっていきました。

3ヶ月に一度、半年に一度、1年に一度と

間隔があいていきました。

若かった私は、わずらわしいものがたまにしか

来なくラッキーぐらいにしか思ってませんでした。


高校を卒業してからも不順は続き

あまりにこないので、母親に相談したら

病院にいこうといわれ、定期健診にもう

行っていなかったので近くの個人の産婦人科に

行きました。今考えれば大きな病院に行っとけば

よかったと思います。


卵巣が1/2しか残っていないため、

ホルモンバランスが悪く、体年齢が

50歳代と言われました。

このままでは、更年期障害・骨粗しょう症に

なりますと言われてしまいました。

まだ、10代なのに・・・


病院からはピルを処方され、それをきちんと飲んで

いると、生理は毎月28日周期でくるようになりました。


生理もピルを飲まないと始まらないため、今現在も

飲み続けています。


成人し、自分の過去の病気について母親からきちんと

説明を受けました。自分でも少しは調べていたので

あまりショックは受けなかったです。

しかし、結婚は諦めようと決心したのはこの時です。


今までの付き合いは、本当に若さゆえの付き合いでした。

22歳の時に今の主人と出会いました。

最初は、まったく結婚なんて頭に無いお付き合いを

お互いにしていました。

しかし、1年・2年と付き合っていくうちに結婚願望が

出てきたのです。


そのころ、主人に私の過去の病気のことを話しました。

男と言うこともあってか、それとも結婚願望がなかった

せいか、「今元気だからいいじゃない」との反応でした。



またまた、昨日の続きから書いていこうと思います。


退院しても体調がすぐれない為、学校には

行けませんでした。母親が学校に行くときのために、

かつらを作ってくれました。

しかし、14歳の私には体調もそうなのですが髪の毛が

生えないと学校には行けないと思いました。

かつらで行っても絶対バレるし、私自身今までまじめな

生徒ではなかったので、逆にいじめられないかなど

いろいろと頭をよぎって学校に行けませんでした。


1月になり3学期が始まって少しは髪の毛は生えては

きたのですが、まだまだ坊主の状態でした。


2学期はまるまる休んでしまいました。

3学期になり、1月の中旬に担任の先生が

家に来ました。何の話かと思ったら、

このままでは出席日数が足りなくなるので、

早く学校に出てこないと留年しまうということでした。

高校の留年は聞いたことがあったのですが、中学にも

留年があるとはビックリでした。

午前中だけでもいいので、出てきなさいとのことでした。


職員会議にもかけられたらしく、反対があれば留年に

なっていたと後から聞きました。

反対もなく、そこでは留年にはならなかったので

両親とも相談した結果、午前中だけ半月間でて

体を慣らし、徐々に長く出席しようということになりました。


かつらを被っての登校になりました。

髪の毛が無いので引っ掛ける部分がなく、飛んだり

跳ねたりしたらずれてしまいます。

なので、両面テープでかつらと頭を貼り付けて登校しました。


学校生活にも慣れてきて、調子に乗り友達と

じゃれていた時にかつらがずれてしまいました。けど、

友達は何も言いませんでした。


次の日からかつらを取り登校しました。

それでも友達誰一人として、頭のことは触れませんでした。

中学2年生の女子が坊主頭で登校しているのに

誰一人として馬鹿にしなかったのです。


それには、感謝しています。

もし、何か言われていたらきっと学校には

行かなかったと思います。


卒業写真も坊主頭で撮っているので、主人にも見せていません。


未だに、誰もあの時のことは言いません。

なぜ誰も頭のことに触れなかったのかは、わかりませんが

本当に感謝しています。


1学期間のブランクは大きく、成績も落ちて勉強しても

追いつきませんでした。ですが、自分なりにがんばり

行きたい高校には行けました。

卒業も無事にでき、両親・先生・友達に感謝感謝です。


また、明日続きを書きたいと思います。