私、家族に対してコンプレックスだらけで、出産するまで自分の人生を歩いてなかった:プロフィール | 「頑張らない!」がコツ♪ママの心が軽くなる〜らくらく子育て法〜

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そんな頑張りすぎママの心が軽くなり、育児に自信を持ち、楽しくなる「らくらく子育て法」をお伝えします。

●私、家族に対してコンプレックスだらけで、出産するまで自分の人生を歩いてなかった:プロフィール


こんにちは。乳幼児子育てサポート協会の行本(ゆくもと)です。


今日は、私の人生を少しご紹介させてください♡


今、協会の代表として、わはは!と笑っていて

子どもも元気で、悩みってなさそうと言われることが多いのですが…


実は、私、家族に対してコンプレックスだらけで、出産するまで自分の人生を歩いてなかったんです。


かなり、かなり、かなり長くなりますが、もしよければ、ご覧ください♪

幼少期〜小学生




幼稚園くらいまでは、とっても人見知りで、常に母の後ろに隠れている子どもだったそうです。


今、人前で話してる私からは想像がつかない。笑


小3くらいから書道にハマり、小5、6では武道館へ書き初めに行き、賞をいただいてました。


今でも、そのときに書いた書初めは残っています。^^


また、5,6年生の時は吹奏楽部にも所属し、トランペットのファースト(メイン)を務めていました。


トランペット、楽しかったなー♡


2年生のときには、保護者面談で、先生から母は

「どうやって育てたら、こんないい子になるんですか?」

と聞かれたそうです。


これが、私の人生の大きな間違いだった。


小学校の時、確かにトランペットは楽しかった。書道も楽しかった。


この2つは、自分が好き!と選んだ。


けど…


日常生活では、常に親や姉の好きなもの・親や姉が喜ぶものを無意識に選んで「好き」と言っていた…


嫌われたくなかった
怒られたくなかった
姉に相手してもらいたかった
母に褒められたかった


小学校に入ってちょっとしてから、父方の祖父母・曾祖母との同居が始まったんです。


祖父母のお世話で疲れている母…


しんどそうな母を見たり


それを見ないふりをしている父(子どもから見るとそう見えただけ)を見るのが


苦痛で…悲しくって…


だから、いい子でいようと心で決めていた…


私から見ると、その同居から家のすべてが崩れていった気がしていました…。


またこの頃の夢は「小学校の先生」でした。


そう思えるくらい、小学校の先生に恵まれていたんでしょうね。


ありがたいです♡


中学〜高校


この時期、荒れまくってました。


小学生の時は、いい子でいようと思っていられたけれど…


思春期に入り、いい子でいられなくなり。


親には

「あの頃の充子に戻って!」

と何度も言われました。


悲しかったなぁ…完全に存在を否定された気がしました。


「親の言うことを聞きなさい。聞かなければ不幸になる」


と言われたのもこの頃。


ここから

自分で選んだことをすると、不幸になる

でも、自分の人生を歩きたい

でも、親の言うことを聞かなきゃ…

でもでも、聞きたくない…けど不幸になる…


常に頭の中は2人の自分が葛藤…


頭と心が分離され、1人の自分になりたいと思ってもできず…


私は不幸になる人間なんだ…と感じながらこの先の人生を送ることになります。



友達関係も、かなり制限されてたなぁ…


しんどすぎて、中学の時は夜中に家を抜け出して友達の家にいったりしてましたね。


捜索されることはなかったけど、親は心配してただろうなぁと思います。


私の息子がそんなことしたら、気が狂いそうになるな…親には本当に申し訳ないことをしました。


と、心は荒れていながら、中学校では3年間 学級委員長や学年の委員長を務めていました。


委員会活動は、楽しかったです♪ 


当時、女子は副委員長というのが定番だったのに、私は委員長をやっていて。笑


初めて彼氏ができたのも、中2。 


親には嘘をついて、遊んでいました。



高校はみとちゃんや田中圭の出身校と同じ高校に行きました。


学校、サボりまくりましたねー

赤点も取りまくりましたねー

数1と化学だけは、得意だったな。

部活は、一応バレーボール部でしたが、なんも身になってません。^^;;


高校生になっても、友達関係や様々なことに厳しかった親に対しては、反抗しつづけていました。


この頃から、頭の片隅にずっと「死にたい…」という想いがありました…


出産するまで、ずっと…ずっと、死が頭にあったんです…


今考えると、この死にたいは「自分で選んだ人生を自信を持ってあるきたい」の裏返しなんですよね。


進学〜20代前半


大学は東京理科大学という大学に進学しました。


本当は勉強嫌いだったのに、理科大に入っちゃった。^^;


現役で4年制大学に行かなきゃいけないって、勝手に思い込んでいたんですよね。


これは、多分、家族が超・優秀だから。親も姉も。


だから、将来なんて考えずに、現役で大学に行けばいいんだ!って勝手に決めちゃってました。


結局…


1年の途中で行かなくなり、3年で中退しました。

(学費がもったいないですよね…本当に申し訳なかった…)


1年の途中で、しんどくって、しんどくって、親に「カウンセリングに通いたい」と言いました。


家族といるのが本当にしんどくって、彼の家に泊まって、実家に帰らない日々もありました。


そして、紆余曲折ありましたが、最終的に病院へ行かせてもらい、眠剤と、何かの薬を飲んでやりすごしていました。

(確か病名はつかなかったはず。記憶があいまい)


この期間、マクドナルドでアルバイトをし、マネージャーにもなりました。


また、人生の何かを見つけたい!!!という想いで、YMCAという場所で学生ボランティアをしていました。


20年以上前、LD児(学習障害)という言葉がメジャーになりつつあった時期。


小学生から中高生のLDさんに、楽しんでもらいながら教育的配慮をするという活動。


自分たちで勉強し、プログラムを考え、反省会をして…の繰り返しが楽しくって、楽しくって、どんどんこの活動にのめり込みました。


ここでも、私はグループリーダーでしたねー。


ただ、勉強すればするほど「私もLDなんじゃないか…いや、そうだ…」という思いは強くなっていました。



また、お酒を飲むのが楽しくなったのもこの時期。


ビールが好きなのは、父譲りです。^^




GLAYのライブや、函館に1人で行ったりしてました♡

スマスマも毎週録画して見て、木村くんの写真集を買ったこともあるけど

公にはファンだって言わなかった。笑

なんか、ジャニーズファンというのが恥ずかしかったのです。^^;;


大学をやめたあとは、いろんなバイトをしていましたが、まだ人生の軸は見つかりませんでした。



塾の講師としての就職


人生の軸が見つからないまま

親には反抗的な態度を取り続け

(サイテーーーー!小言は言われてたと思いますが、あの状態の私を勘当しなかった親には心から感謝です…)

でも、バイト生活…


さすがに、就職しなきゃ!と、いろいろ考え、探した結果…


塾の講師


という仕事が見つかりました。


実は、今住んでいる市川市にある学習塾だったんです。^^


ご縁ですねぇ♡


その塾は、中学受験もバリバリしてたんですが、そうではない、サポートが必要なお子さんもたくさんいて。


私は小学校の算数と理科、中学の数学を担当させていただきました。(多分…^^;)

とっても、楽しい仕事でした。


小学校3年か4年に、いわゆる問題児扱いされる男の子がいたんですけどね…


めっちゃ生意気なんだけど、ちょーーーーーかわいかった♡


顔が可愛んじゃなくって、言うことがね、なんか、とっても一生懸命に感じて…大好きな生徒さんでした。


と、やりがいをもって仕事をさせていただいていたんですが…


まさかの、倒産!!!



落ち込んでいても仕方ないので、次の就職先を探しました。


おかげさまで、また、塾が見つかり算数と数学の講師として就職することができました。


実家から遠かったので、一人暮らしをすることに。


部屋探しは、父も母も一緒に来てくれました。


引越し費用も出してもらったような気がする…重ね重ね、本当にありがたい。。。


直属の上司にも、理事長にもとっても気に入っていただき、順調な滑り出しでした。


が・・・


理事長によるセクハラが勃発!!!


周りの先生は誰も守ってくれず…


精神的に参ってしまった私は、退職をよぎなくされました。


このとき、父が塾まで来て話をしてくれたことを覚えています。


反抗ばかりしてきた私を、守ってくれたんです…涙



ですが、もう私には塾講師として働く気力は残っていませんでした。



アパレル就職


塾を退職し、実家に戻り、完全にやさぐれていた私は


とりあえず、アルバイトを探しました。


とはいえ、23か24歳。普通なら、就職してる年齢。


アルバイト情報誌で「新規オープン」のお店を探しまくり…


ピン!ときた、アパレル企業が新たに立ち上げた、雑貨ブランドのお店へ勤めることになりました。


このとき、どうしてアパレル企業にピンときたのか分かりませんでした…


でもね、あとから思い出したら、小学校か中学の時にテレビ東京で放送されていた「ファッション通信」という番組が大好きだったんですよね。


パリコレとかミラノ、ニューヨークなどの各ブランドのファッションショーを見せてくれる番組。


どうして好きだったのか…私には、なにか惹かれるものがあったんです♡


だからアパレル企業にピンと来たんでしょうね。^^


そこでアルバイトとして働いていましたが、ある時期に渋谷の本店に移動することになりました。


更に、アルバイトという立場で渋谷本店の店長に指名していただきました。

(何かのタイミングで契約社員になったなー。年齢的に正社はNGだった気がする)


死に物狂いで働きましたよー。


会社としても、なにがなんでも黒字にしたい!!!という時期だったので


私も、本当に必死。


実家に帰れず、ホテルに泊まることも度々ありました。


とにかく、売上を上げたかった。


今考えると、これも…

「マックもアパレルも接客業は夜の仕事と同じだ!」
(その業界の方、ごめんなさい!!!)

と言った母に、売上という成果を出して認めてほしかったんだと思います。


売上をあげるために、スタッフのアルバイトさんに対して、とてつもないパワーマネジメントをしてました。^^;


一人ひとりの良さを活かすチーム作りなんて、1mmも考えず。


「時給もらってるんだから、私が与えた仕事をやれよ!」


くらいのこと、思ってました…

(サイアクな店長ですねー。爆)


その後、初の百貨店出店したときも、店長を任せていただきました。


でもね、店長として頑張ろう!と思って、マネジメントとかチーム作りの本も読んでたんですよ。


当時、その本の知識は、全く活かされてなかったけど。笑


そして今、活かされている…人生って本当に繋がってるなぁと感じる瞬間です。




ただ無茶な働き方をしていたので、身体を壊し、仕事を休みがちに…


特に生理がキツくて1か月に一回は倒れる状態…


お店にも迷惑をかけてしまい、本社の企画部門へ移動となりました。


これがまた、実はやりたかったことで希望通りの移動で…ありがたい限りでした。


そんなこんなしている中で、その会社に対してギモンを感じることも増え


また、入社時に立てていた自分に対しての目標はすべて達成してしまったので、転職を考えました。



アパレルだもの。海外出張に行きたい♡


こんな下心での転職。笑


そして、この希望が、かなっちゃうんだなー。


年に何回か、アメリカのボストンに出張に行かせていただきましたよー♪


楽しかった。わははー。


でもね、このときも頭のどこかに「死にたい」って思いが消えなくって…


家族の中に居場所を感じられず

親から認めてもらってると、全く感じられず


身体の調子を、しょっちゅう崩していました…。



結婚〜出産・離婚


その頃、元夫と出会い(というより再会です)、紆余曲折ありながら結婚し、関西へ引っ越しをすることに。


子どもが欲しいなあと思いながら、一年は過ぎたかなぁ…


結婚、二年目になるころに無事に妊娠。


この頃、妊娠しているにも関わらず、母への恨みが全く手放せず、とても苦しい思いをしていました。


母からの束縛がしんどい…


母からの荷物が届くだけで、吐き気がする…


関西の自宅で1人、泣きながら母から届いた荷物を全部捨てたこともあります…


それくらい、母の存在が怖かった…


こんなんでは、私は母親になれない…なっちゃいけない…


私が不安定なので、元夫ともしょっちゅうケンカもしていました。


いろんな心理学の勉強をしました。


セッションも受けました。


少しずつ、母への恨みを手放し、感謝に変わりつつありました。



そして運命の2010年8月8日。


40時間の陣痛を経て、無事に出産…


と、同時に父の末期がんが確定…



里帰り出産をしたのですが、実家はとても複雑な空気感でした。



母は父の看病と、私や息子のフォローを、本当に本当によくやってくれました…。


母に「大変だからやめた方がいいんじゃない?」と言われた布おむつ。


だんだん洗うのがしんどくなり、実家にいる時は、結局、母に洗ってもらいました。


沐浴も、ほぼ母だった…


あんなに恨んでいた母だったけれど…また更に、恨みを手放し感謝に変化していきました…


(こんなにお世話になってるんだから、アタリマエですよね。もっと早く、母の愛に気が付き、感謝に変えられたら良かったのですが…)



ただね、この時期に父が末期がんになったのは、私のためだったんじゃないかなぁって、最近思うんです…。


母と私は、価値観が全く違います。


距離が近づきすぎると、しんどくなる。


だから、私がほどよい距離感で子育てができるように…母が孫に一直線にならないように…


父は、病気になって身体を張って、私を守ってくれたのかもしれない…


当初は、なんでこんな時期に!!!と思いましたが、今は、あのタイミングに父の愛を感じています…。


息子が1歳1ヶ月。


父が永眠…泣けませんでした。


父が亡くなったことに対して泣けたのは、半年以上…いや1年以上たってから…


もう一度、父と一緒にビールが飲みたかった…


病室で、一口、ビールを含ませてあげたとき「あー美味しいなぁ…」と言っていた父の顔が忘れられません。



その後、離婚。


尼崎の友人が、私と息子の支えでした♡



そして今、市川市で元気に暮らしています。


本音で話せる友人も。


急に誘って飲みに行けるママ友も。


困ったときに頼れる人も、できました。



息子は1年生から2年にかけて、いじめにあいましたが、


おかげさまですぐに収まり、今、元気に学校に通っています。


なにより、3歳から始めたバレエが大好きで、将来、海外で踊るために頑張っています。




私は、母を恨んで恨んで、うまくいかないことは、すべて母のせいにしてきました。


価値観が違う母に、私の考えを丁寧に説明することから逃げ。


自分の課題と向き合うことから逃げ。


自分の課題を見たくないから、母を恨んでいました。



でも、今はこんな娘を見捨てず、育ててくれたことに感謝しかありません。


そして、心から申し訳なかったなぁ…と…。



まぁ、これからも、ある程度の距離感は保ちつつ。笑


孝行できたら、いいなぁ…と思っています♡



これが、私の人生。


こんな長い記事を最後までお読みくださり、ありがとうございます。


心から感謝♡

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