〈世界一貧乏な大統領〉 | SZ

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とある音楽家の地球生活のカケラたち

南米に、ブラジル、アルゼンチンと隣接してウルグアイという国があります。
そこのムヒカ大統領は、口だけではなく行動を伴う政治家で、
資産の87%を寄付し、家とトラクターだけで暮らしている『世界で最も貧乏な大統領』と呼ばれています。
その自宅も大統領公邸ではなく、首都郊外のふつうの家です。
受け取る月収は、他の一般の国民の同じだけ、残りは寄付です。
理由は、自分が得たお金を人々や企業に役立ててもらいたいから。

政治への姿勢と、この眩しい笑顔…国民から指示されるのも頷けます。

ムヒカ大統領のスピーチが、素晴らしいので、ブログに載せたいと思いました。
立場や思想は人それぞれでしょうが、
実際に、お金も地位も手にした方が、行動を伴いながら発する問題提起、メッセージとして、
大変興味深く心を動かされました。

もしよかったら、読んでみて下さい。


$板東靜 - Listening is Believing -

【 字幕付き動画 心やさしい大統領スピーチ 】
※リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議





【 ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ 翻訳文 】


会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。


同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?


 マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

 現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。


 このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。


 昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています。

貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。


 国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。


 私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。


 そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。


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自殺大国の日本人は、きっと、よく知っているはずですね。
世界で最も裕福で、世界最高水準の技術とサービスをもつ日本国。
いくらものが溢れても、豊かにはなれない事を。

そして日本人に最もDNAが近いチベット人。
彼らはこの現代の社会の中で、「心の発展」「思いやりの文化」「幸せの科学」のエキスパートです。
心の平和を知る最後の砦だといわれるチベットが、今も火をあげ抑圧、拷問にさらされていること。

一方は外の豊かさを、もう一方は内なる豊かさを極め、別々の道を歩んできたかに思える日本とチベットはコインの表と裏のよう。

「いかに生きるか」をしっかり受け止め、考える上で、決して無関係には思えないのです。

$板東靜 - Listening is Believing -


ムヒカ大統領の笑顔とスピーチに何を感じるか。
善と悪、賛成と反対は一旦おいといて。
実行を伴って、つまり毎日のふつうの営みの中で、何を思い何をしていくのか。





Bando Shizuka/