…西洋風の意識を持つ私たちは、感覚を何らかの物事に向けずにはいられない。
何も考えずにいることは非常に難しい。空虚は居心地の悪いものだ。
静かになると、たいてい早とちりをした人が終演の拍手を鳴らす。
音の合間の静寂は、誰もを少し不安にさせる。
意味深い休止を身につけることは実に困難だ。
私たちは躍起になって、何もない空間や停滞した空気をがらくたで埋めようとする。
無があるからこそ物事が形をとり、それぞれ区別されうるのだということを忘れている。
私たちは話すことをやめ、聴かなくてはならない。
沈黙に耳を澄ますことを学ばなくてはならない。
多くの答えは、音の合間に潜んでいるからだ。沈黙の響きの中に。
東洋やアフリカでは、時間や音楽が西洋とは違ったやり方で捉えられている。
そこでは物事と合間は同じ価値を持っている。
何もない空白が、変化や発見の場として受け入れられている。
これが新たなリズムを作り出す。
合間というものが本質的に不完全であっても構わない。
こうして捉え方は、私たちの積極的な関わりを促すことになる、
それぞれの音や具体的な物事にではなく、その間にある沈黙に浸ることを可能にしてくれる。
ライアル・ワトソン『エレファントム』より