ものぐさな私がブログで連載めいたことをするなんて・・・と途中で放棄しかけたが、いいねやフォローしてくださる方がいたので(読んでくれてありがとうございます)とりあえず全部書く事ができた。

 

累計6年近くつとめた会社を人員整理によりクビになり、

履歴書を久しぶりに書き上げたときに「10社もあったんだ、私」と驚き、走馬灯のように会社でおこった色んな出来事が蘇りその一部をブログにしたためることに。

 

気が付けば第6回目

 

  9社目

8社目がわずか2か月でクビ(更新されない)という屈辱を味わい、再び臨んだ転職先は医薬品の卸会社だった。

 

詳しくはやはり言えないが、業界でもトップの方で、いる社員の方々も長い方ばかり。あまり焦りや他人感もなく、アットホームな場所だった。

 

私の前任者はやはり派遣社員だったようだが、1年を待たずの8か月で連絡が取れずやめたらしい・・・1日とか1か月で急に音信不通で辞めた人は聞いたことあるけれど、8か月で突然音信不通って珍しい。(派遣会社とは連絡はとれ、事件性等はなかったらしいんだけど・・)

 

それで、その後釜だったわけなんだけれど、「困ったことがあったら何でも言ってね」と、とても親身(ある意味腫物のような扱いで?)になってあれこれ世話をやいてくれて、上長である部長もかなり気を使ってくれながらだった。

 

前社とは比べ物にならないくらい快適だったし、仕事も評価されて1年たったころ

 

 

 

コロナが流行した。🤧

 

 

 

ここではっきりと「正社員」と「派遣社員」の格差が浮き彫りになったことが多かったのではないか。

 

正社員は在宅ワークはできるが、派遣社員はできないというジレンマ。

 

私は幸いなことに、長女がまだ小2で、学校が休みだったり分散登校などでそれのための休業という補償が国から出るため、派遣会社経由で休んだ日の分も全額出たため、それで何とかなった。部長はとてもいい人だったので、休むことを了承してもらえた。

 

しかし、他の派遣社員の人(独身など)はコロナなどによる休業補償されるのは約6割。

 

社員が在宅や、出社が少ない中、毎日出社などするしかない。

 

そこで不満も生じていたが、私の制度については他の人に詳しくは言ってなかったため、ひがまれることはなかったものの、同じ派遣社員としては心苦しくもあった。。。

 

ステイホームが推奨されていた期間は週2出社くらいで済んでいた(週5の給料で)

もともと、仕事も少ないのでそんなに痛手ではなかった。

 

でも、いなくなると困るということでありがたいことに更新は続けられた。

 

旦那もフルステイホーム、子供たちも学校と保育園が休みのためステイホーム、家族で家にいて、この時はこんな長くなると思わなくて、子供たちと一緒に公園でかけたりと非日常を楽しんだりしたこともあった。

 

ステイホームが明け、学校なども再開すると出社するしかなく、

でも週2で済んでた仕事、週5では暇すぎる・・・

 

そんな手持無沙汰に1年がすぎたころ、以前働いてた会社の元同僚から連絡が来る。

 

『今、コロナでもう社員は在宅になっている。在宅だったら〇〇さんもここに勤められるのではない?』

 

というお誘いだった。彼女は私が派遣で就業したときに同時に入った正社員で今や役職もついている。人はすぐ辞めていくし、このコロナでなかなかいい人も見つかりにくいということでのお誘いだった。

 

正社員になりたいとコロナになって切実に思っていた。

なので、このお誘いは驚くくらいちょうど良いタイミングだった。

 

今の職場は人はよく居心地はいいが、仕事もそんなにないし派遣という立場だといつ終わるかわからない。なので、決心して、前の会社に直接雇用されることに。

 

私が派遣だったころの働きぶりを知っている上司がそのままいたので、面接でトントン拍子で決まり、派遣でつとめていた会社は更新日をもって終了することに。

 

上長の部長はひどくがっかりして、「うちでも正社員になれるのに・・・」と言ってくれて条件まで提示いただいたけれど、前の会社の方が仕事に魅力もあったので「残念ですが・・」と断ったのだ。

 

直雇用される会社で私は正社員として終身雇用にくらいに思っていたのだ。

 

まさかその2年後に人員整理されるとは・・・だけれど。

 

ということで次回は最終回。なぜ私がクビになったのか?を書きます。