2・25付の本ブログの続き  、、自分が未だに聞いた事のないB'sとかの話は無いよ。  

 なんか場末のバーに出入りする流しのギター弾きの物語になりそう。 

 これ見てる方のほとんどはギターの流しという職業の方に実際に現場!で遭遇した事はあるまいて。人工カラオケの原点だ。 


バブスのブログ

 さて HP読んでる方はご存じだろうが自分は自転車が乗れるようになってからの行動範囲は現在の栄3~5と新栄1~3、泉、千種、今池、代官町、大須という超!!都会っ子である。 当時はそんな認識も無く日曜毎に新しくできたサカエチカ、中日ビルへクラスの友人と自転車でふらつきに行くというような生活を昭和50年代初頭までしていた。 チョー都会っ子ならではのエピソードで受験勉強を夜遅くまで頑張ってしとると家の前でタクシーが停まり酔客を見送る水商売のオネーサンの「センセー! また来てねえ~!」とのあま~い声やたまあに怪しげなウフン、アハンの喘ぎ。 どうしたんだろう?と思って窓を開けて見ると立ったまま抱き合いキスをする男女の姿。 純白な少年にはおわっと!大人の世界をかいまみたような、、、  何のセンセーか知らないがセンセーともなればこんなエエ事もあるのか?!と窓を閉めて再び机に向かいペンを握りしめる手の力がさっきよりも力強く勉強に集中できたのは言うまでもない!??  高校時代にEギターを形だけ弾けるようになり初めて同級生で組んだバンドのリードEギターとしてコンサートに出た。 舞台に立って聴衆の前で弾くなんて生まれて初めてであがったなあ。 その時の録音が残ってるが今聞くと赤面するような物だ。 大学で憧れの軽音楽部に入るもプロみたいな奴がゴロゴロしておりそこで世の中の広さ、自分が井の中の蛙であった事と自分のレベルの低さを知る。 ちなみにその時の後輩は今もラブリーとかで演奏してる。



 今日はその時のバンド仲間の1人の話をしたい。 今でも夜夢に思う事が多い。 同学年で大学のそばで下宿してたAだ.。 同じバンド仲間から始まり結局友人として親しくなり毎夜のようにそいつの下宿に入り浸って酒飲んだり明日は休講ならそのまま泊まったり。 田舎の彼の両親にも時々彼の下宿でお会いして一緒に食事に連れてってもらったりと懇意にさせていただいた。  Aの父親は病気がちで母親が商売をして生計を支えておりAは一人息子。 彼の両親にとっては夫婦の一粒種がめでたく名古屋の大学生となりたまに息子の様子を見に名古屋へ出てみえて我が息子と懇意らしい?若者も連れて食事、、、、という感覚だろうか。  フツ~の平和な家族の姿だったよ。 自分もそう思ってた。 平凡な1コマだなあと少し退屈気味でその場にいたような気がする。  その後卒業する前にAの父親は他界し卒業後彼は東京の東証1部企業へ就職。 就職後も付き合いは頻度は減るも続く。 やがてAの母親が亡くなったとAから聞かされる。 それを聞いた時も深くは考えなかった。 年なのかな?位で。 恐らく普通はそうだろうと今でも自分に言い聞かせてる。 大学卒業後10年ともなれば有りうる話だ。 所がAは40歳位で新宿のマンションの自室で息をひきとっているのが発見される。 結婚してない彼を発見したのは合い鍵を持つ付き合っていた彼女で事件性はないらしい。 突然死ってやつだろう。 それを聞いた時には悲しいとかびっくり、とかって気持ちが強かったが時間が経つにつれ妙に不思議な気持ちになる。 学生時代に一緒に食事をし笑顔で話をしてた一家3人がその20年後には誰もこの世には居ない。 本当に自分はその場に居たのだろうか? あれは実際にあった事だろうか?と。 

 その地方の旧道と呼ばれるメインストリートに沿って木でできた雨戸の閉まった黒い木造の彼の実家が今でも立っている。 50年前には幼子とその両親が一家で幸せに過ごしていたであろう家。 人の住んでいないその家を見る度に黒い家が自分に向かってそれは実際にあった事だと語りかけているように思えてならない。 でもそれに納得できない自分がいるのがわかるしその都度彼らの笑顔が思い出されるのだ。 幻ではなく一家は実在していた筈だ。  自分の中にそのぬくもりが残っているから。


 自分の部屋に置いてある写真のギターの横には2,3年前引き出しの整理をしてた時に見つけた学生時代の彼の写真が貼ってある。 眼鏡をかけて旨そうにセブンスターをふかす姿。 この写真が無かったら彼の姿は自分の脳内の薄れていく記憶しか無かった。

   兄弟もおらず両親も子供も居ない彼の写真に今この世で僅かでも価値を見いだせる人間は自分位だろうか、と貼ってある。  ギターを手にすることが無ければ彼らと出会う事は無かった筈だ。  


  これもギター人生、、、