2022.7・9
安倍元首相の治療にあたった奈良県立医大病院では、午後6時すぎから会見を開き、「安倍元首相は午後0時20分に心肺停止の状態で搬送され、救命センターにて懸命の蘇生措置を行ったが、残念ながら、午後5時3分に亡くなった」と発表しました。
病院によると、頸部に2カ所の銃創があり、弾丸によるものとみられる傷は心臓にまで達していて、心臓及び大血管の損傷があったということです。
死因は失血死でした。
因果応報。
「原因があって結果が起こり、人はそれぞれの作り出した原因と結果によって報われる。」 これが覚者と呼ばれた釈迦如来が説いた因果応報である。
因果応報はカルマの法則とも等しく、
「人が他者にした言動の全ては、いずれ何倍にもなって我が身に降りかかる」と説かれている。
他者への憐みや慈悲から善行を施す場合、その行為者が豊かであろうが貧しかろうが等しく報われる。
問題は、他者への無慈悲で冷酷な悪行である。
弱者が強者に悪行を為す事は不可能である。従って、悪行とは、もっぱら強者が弱者に一方的に実行する言動であり画策である。
こうして、親が我が子を、舅姑が嫁を、祖父母が孫を、夫が妻を、年長者が年少者を、兄が弟を、姉が妹を、富裕層が貧困層を、政治的権力者が国民を、いじめ、搾取し、殴りつけ、時には拷問したり惨殺する。
もちろん、この世においては、権力者や富裕層はその権力や財力に物を言わせて最大限に自己保身の努力をしているから、強者がどれほど悪事を実行しようが法で裁かれる事もなければ処罰される事もないのが普通である。
だが、人間は神ではない。誰もが時を経れば老い衰え、病気になり、最後には例外なくこの世を去る。地上のいかなる権力や財力をもってしても、不老不死を得る事は出来ない。
こうして、力にものを言わせて我が子や妻、孫に暴力を振るっていた親も、ついには老い衰えて我が子や妻、孫に見捨てられるか、悪くすれば自分がしていたように暴力を振るわれる事もある。
さらに、力を行使する快感に溺れ、弱者を暴力でねじ伏せいじめる事を生きがいにしていた残忍な人々は、人生の終盤において力を奪われ、かつて自身が蹂躙し続けてきた弱者の苦悩と恐怖、復讐される恐怖を身をもって味わう事になる。
財力や政治的権力の頂点にあった人々も、最後にはそれまで散々おべっかを使いお世辞を言い続けておこぼれにあずかった連中からも見放され、一人寂しく死出の旅に立つ事になる。
釈迦は言った。
「善行を施しても、その報いはすぐに訪れるとは限らない。だが、それがいかに遠い昔になされ、いかにささやかであったとしても、必ず報われるから安心しているが良い。
悪行を為しても、その報いはすぐに訪れるとは限らない。だが、それがいかに遠い昔になされ、いかにささやかであったとしても、必ず報いがあるから気を付けておれ。」
一般的に、悪事がなされても、愚かな人々はそれを甘美な蜜のように思いなして自らの悪事を楽しむ。従って、その状態が続く限り、人は自らの悪事を止めようともせず、次々に多くの人、弱い立場の人々の不幸を来してさらに喜ぶ。この状態が続けば、最後にはその人の悪事に応じた災いが忘れた頃に訪れる。
時にはその人自身ではなく、その人にとって大切な子や孫、配偶者や親に災いが訪れる事がある。
「親の因果が子に報い」と言うのは客観的な事実であり決して悪を抑制するための戒めの言葉などではない。
悪事と言う物は、当事者が自ら反省し、自らの悪行を悔い、二度と再び悪事を為すまいと心に誓い、自分が不幸にした人々に償わない限り、永遠にその人に付きまとい、機が熟すれば悪事の報いを受ける事になる。
もし、生前に悪事の報いが返ってくれば、あるいはその人が善行によって自らの悪事を償えば、その悪事の報いはそれで終わる。
ところが生前に悪行が償われなかった場合、その人の悪行の報いは、輪廻転生した後にまで持ち越される。世界の歴史的な霊視者や覚者、賢者や聖者と呼ばれた人々は、これをカルマと呼んだ。
世界史は血なまぐさい戦争と弱者の搾取、差別と残忍性と意地悪さ、権力への野望と物欲、金銭欲に塗りつぶされている。
それでも時代が進むにつれて、権力者のあらゆる悪行は糾弾され、非難され、批判されて、少しずつだが改善される方向に向かって動いている。
この世で最も強大な軍事力を誇った民族や国家、残忍な独裁者であろうとも、一人の例外もなくせいぜい100年前後で寿命が尽きて死んだ。
釈迦は言った。
「悪事を実行してもすぐ報いがあるわけではない。だが、罪もなく、善良で慈悲深い人々に悪事を行った場合、速やかにその報いが10倍、100倍となって訪れる。
地上において、権力や財力を持つ悪人は、表面的にはちやほやされるが、実際には悪魔のように人々に忌み嫌われ、生前において自らの恥ずべき生き様を悔いて罪を償わなければ、死後は頭を下にして真っ逆さまに地獄に落ちる。その悪人が不幸にした人々が全て苦しみから解放され救われるまでは、決して地獄から解放される事はない。」
この世は修行の場であり、修行の場である以上、厳しく、辛く、忍耐を要求される。だが、あらゆる不幸、あらゆる不運や苦痛は、他者の苦悩と悲哀を知る唯一の方法である。
自らが苦悩の人生を経験しなければ、人は自分以外の全ての人類も同じ苦悩を経験しているという事実に気付けない。
自分自身が不幸を経験してこそ、人は他者の不幸を切実に知る事が可能であり、他者への憐みと慈悲を学ぶに至る。
もちろん、苦悩や不幸を経験して前以上に荒んだ人間になる者も多い。だがそれは神によって個人の選択にゆだねられている。
いずれにせよ、世の不幸が、自分以外の他者への慈悲や憐みを学ぶ目的で存在している以上、世に不幸の種は尽きないとしても、他者の不幸を来す事は許されない。他者の不幸を来さないためにこそ、この世が存在していると言っても過言ではないのである。
自分の目前に自分以上に不幸な人がいる。その人を憐れんで救いの手を差し伸べるのか、その人をあざ笑い自ら優越感に浸るのか? それを決めるのは自分自身だが、その言動と選択の如何によっては、自分自身が不幸なカルマを積む事になるという事実は知っておくべきだろう。
人類史上、数えきれないほど多くの富豪や独裁者、政治的権力者や王侯貴族、皇帝や天皇や教皇が出現しては死んでいった。いかなる権力者も、その行為があまりにも残虐であった場合には、どれも例外なく悲惨な末路をたどっている。
たとえ生前においては順風満帆だったとしても、どんなに強大な権力と財力を誇っていたとしても、その人が罪を償わないままに死んだなら、その人が地獄の闇で半永久的に苦しみ続ける運命を変える事は出来ない。さらにそれは、生前に悪業の報いを受けるよりもさらに無残な輪廻転生とカルマに直結する。
弱い者いじめを楽しみ、弱者を嘲笑しながら法外な重税を課し、弱者が苦しむのをなによりも楽しみとしていた独裁者がいた。
その人は権力をほしいままにし、国民が血と汗と涙で捻出した富を独占して湯水のように浪費し、それでも足らずに罪もない若者達を戦争ゲームの駒として利用しようとした。
挙句の果てに、外国の過激派に誘拐された自国民が殺害されるように、わざとその過激派を侮辱しバッシングして挑発した。
その結果、無残にもその被害者たちは砂漠で公開処刑され、斬首されて殺害され、その映像を全世界に流されると言う惨たらしい結果に終わったが、独裁者は一人ほくそ笑んでいた。
ついにこの地上の悪魔は、全く予想外の時に暗殺され、公衆の面前で倒れる姿を全国、全世界に報道される事になった。
死して後、この残忍な独裁者は真っ逆さまに暗黒の地獄に落ち、この悪魔が不幸にした全ての人々が救われるまで、地獄の苦しみに絶叫し続けることになった。
なお、この独裁者を射殺した男は兵士であり、独裁者が友好国の起こした戦争に自国の兵士を傭兵奴隷として送り込もうと画策していたことに腹を立てて犯行に及んだ事が判明した。
戦争ゲームを楽しんで武器を大量に購入し、膨大な予算を使って軍備増強を繰り返し、国民に戦争を強制しようとしていた人間が、最後には自らの兵士、自らが買いあさった武器によって自らの命を奪われた。
これまで、コロナ禍による雇止めによって自殺した500人を超える若い女性達、
ベトナム人技能研修生として日本を訪れ、暴力その他の虐待により自殺した若者達、
医療費控除削減により病院受診出来ずに亡くなった高齢者と病者、
生活の苦しさで親に虐待、殺害された子ども達、
ブラック企業に搾取され、自殺した人々、
戦地に送られ自殺した自衛隊の方々、
先進国では最も多い10代の自殺者、
かつての日本の侵略戦争で戦死した360万人の日本の人々、
従軍慰安婦として、あるいは強制労働で死亡した朝鮮半島出身の人々、
日本軍によって殺害された2000万人を超えるアジア諸国の人々、
福島原発事故で死亡した犠牲者たち、
独裁者や独裁政党の悪政により亡くなった全世界の被害者、
銃による犯罪で死亡した全ての犠牲者、
民族差別の犠牲になって殺害された全世界の人々、
貧しさによって亡くなった全世界の人々、
これらの悲しい人々のために冥福をお祈り致します。
キリストは言われた。
「剣を取る者は剣にて滅ぶ。
平和を作り出す人達は幸いだ。
その人達は神の子と呼ばれるだろう。」
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