朝、ふと、どうして

 

願ったら手放す必要があるのか

 

今までのことが繋がった。

 

 

 

レストランで注文した時

 

注文したものが本当にくるのか

 

何度も尋ねない。

 

来るのが当然だから。

 

信じるもの何も注文したものが

 

来るのが当たり前だと思ってるから。

 

 

 

 

「やったー!信じてたよ!来るのを!」

とかなんない

 

 

「信じている」は本当は信じていない。

 

本当に信じていれば「あたりまえ」となる。

 

『当然』なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も願いを祈るのは

 

注文したものを信用できず

 

「本当にカレー🍛きます?」

 

「ちゃんと作ってます?」

 

と何度も確認すること。

 

つまりウザいガーン

 

 

 

注文した料理がくるのを

 

信じるものなにも

 

あたりまえの感覚で待つような

 

感覚・・・

 

それが手放すなんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、聖書の「はじめに言葉ありき」って

 

振動数=周波数のことも含んでいると思う。

 


悪い言葉、汚い言葉は振動数が低く

 

自分にも悪い影響をもたらすから
 

意識して(落ち着いて選択して)

 

振動数の高い言葉を使ったほうがいい。

 

 

そういう意味でも


大和言葉(訓読みも)って振動数高そう。

 

 

 

今「そうじゃない」から

「~~したい」 「~~がほしい」と思う。

 

いわゆる不足でござる状態。

 

今家にいるのに「家に帰りたい」とは思わないし

 

たとえば京都にいるのに「京都に行きたい」とは

思わない。

 

 

つまりそういうことなんだ。

 

 

 

持ってないから欲しいでござる

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すごく時間をかけて調整していた

 

ツリーハウスの滑り台

 

 

 

 

ネクタイみたい

 

 

 

あまり時間のかけていない

 

偶然できたもの方が出来がいいのでチェンジ

 

 

 

 

色付けてなくても滑り台ってわかる指差し

 

 

 

時間と結果がまったくもって不意一致

 

 

あるよね~~

 

 

 

 

マイプラネタリウムでビデオを見るのが

密かな夢・・・

 

 

現実より先に仮想空間よ!と

なんとなく作ってみたプラネタリウムを

地上に仮置きしたもののしっくりこないので

 

 

 

 

 

ツリーハウス屋上に置いてみた。

 

やっぱり屋上の方がしっくりくる

 

 

 

 

ちなみにフリーエネルギー使用