朝、ふと、どうして
願ったら手放す必要があるのか
今までのことが繋がった。
レストランで注文した時
注文したものが本当にくるのか
何度も尋ねない。
来るのが当然だから。
信じるもの何も注文したものが
来るのが当たり前だと思ってるから。
「やったー!信じてたよ!来るのを!」
とかなんない
「信じている」は本当は信じていない。
本当に信じていれば「あたりまえ」となる。
『当然』なのだ。
何度も願いを祈るのは
注文したものを信用できず
「本当にカレー🍛きます?」
「ちゃんと作ってます?」
と何度も確認すること。
つまりウザい
注文した料理がくるのを
信じるものなにも
あたりまえの感覚で待つような
感覚・・・
それが手放すなんだな。