日本振興銀行の社外取締役で弁護士の赤坂俊哉さん(51)が東京都目黒区の自宅で死亡していたことが分かった。警視庁目黒署によると、室内には遺書めいたメモが残されていたといい、現場の状況から自殺とみられる。
同署によると、7月31日午前、家族が赤坂さんの自室を開けると既に死亡していた。着衣に乱れはなく、外部からの侵入の形跡もないことから自殺と判断したという。遺体の状況から死後数時間が経過しているとみられる。
同行を巡っては、09年6月から今年3月まで行われた金融庁の立ち入り検査の際、前会長の木村剛容疑者(48)ら元幹部計5人が業務メールを削除したなどとして銀行法違反(検査忌避)容疑で逮捕されている。
一方、同行は「死因は心筋梗塞で、自殺とは聞いていない」と説明している。
これは2日の毎日新聞配信記事である。他紙も他の放送局も似たような内容である。
1日置いてこの記事を取り上げたのは、警察第一報を信じない主義なのと、続報があるかということからである。
小さく扱われ、これ以降コメントも各社なしである。
ネットでは疑問の声は上がっている。
また自殺に見せかけた「口封じ」ではないかという意見が大半である。
その可能性はあるだろう。
何故、報道が1日半も遅れたのか。
銀行側は誰から心筋梗塞と聞いて、そう説明したのか。
何故、その裏をマスコミはとらないのか。
司法解剖はなされるのか。
他紙では「多忙」を自殺動機のように書いているが、「多忙」から解放される人が、慌しくメモのみの遺書などありえるだろうか。
また「多忙」なら会社宛に仕事の引継ぎなどの申し送りも必要だろう。
それらを含む関係資料を持ち出すのに、1日が必要だったのだろうか。
小泉政策に関連する不審な死は、これまでもいくつもある。
2001年10月、NHKの長谷川浩氏は自社の渋谷放送センターから転落死している。
彼は9.11テロのアメリカ陰謀説に関連して「WTCの死者には、4000人いたイスラエル国籍のユダヤ人二重国籍米国人が1人もいなかった」と番組で発言していた。
2003年4月、朝日監査法人のりそな銀行担当公認会計士だった平田聡氏は自宅マンションの12階から転落死した。
朝日監査法人がりそな銀行の繰延税金資産を否認する方針を協議した本部審査会の直後だった。
彼はりそな銀行の繰延税金資産否認に強く反対していた。
2006年12月、朝日新聞社の鈴木啓一氏は東京湾で水死。自殺として扱われる。
彼は救済を受けたりそな銀行が、直後の3年で自民党への融資が10倍になったことをスクープをスクープしたばかりだった。
2007年4月、読売新聞の石井誠氏は自宅で後ろ手に手錠をかけられ、口の中に靴下が詰まった状態で死亡してるのを発見されたが事故扱いとされる。
彼はりそな銀行は竹中平蔵らの謀略によって、自己資本不足に追い込まれた疑いがあると追求し批判していた。
同じように竹中平蔵らに批判的立場であった植草一秀氏は、痴漢冤罪事件で社会的地位を失った。
現在はこの謀略グループ「悪徳ネオコン」を追及する執筆やブログで活躍されている。
植草氏のこの小泉竹中の陰謀に関する文章は的確で理解しやすい。
「振興銀行」と「りそな銀行」の事件に関して6月のブログは解説書のように判りやすいので掲載したい。
植草一秀の『知られざる真実』
日本振興銀行をめぐる黒い霧
日本振興銀行が検査忌避をはじめとする法令違反により金融庁から刑事告発され、犯罪捜査が始まった。
刑事捜査の最大の焦点は日本振興銀行を実質支配してきた木村剛氏の関与である。
「木村銀行」と呼ばれてきた日本振興銀行であるから、経営上の重大な方針決定に木村氏が深く関わったと推察するのが順当であろう。
今回俎上に載せられているのは検査忌避や出資法違反などの七つの法令違反であるが、そもそもこの銀行の設立自体が黒い霧に包まれていた。
2002年10月、小泉政権は内閣改造を実施した。小泉政権発足後、日本経済は景気崩壊-株価暴落-金融不安拡大の一途をたどった。経済財政政策担当相として民間人から起用されたのが竹中平蔵氏だった。風評では内閣改造で竹中氏が更迭されると予想されていたが、実際には竹中氏が経財相に加えて金融相を兼務することになった。
この人事は米国の指令によるものだと見られている。この後に日本株価が暴落し、りそな銀行が自己資本不足と認定され、2兆円もの公的資金投入で救済されたのが、いわゆる「りそな疑惑」である。
「疑惑」と称する理由は多岐にわたるが、
①自己資本算定における繰延税金資産の取り扱い問題が急浮上したこと、
②りそな銀行だけが繰延税金資産5年計上を認められなかったこと、
③この問題を強く誘導した木村剛氏は2003年5月14日段階で、なおゼロないし1年を強硬に主張したが、結果が3年計上になったこと、
④その木村剛氏がゼロないし1年以外の決定を示す監査法人は破たんさせるべきとの強硬論を訴えていたのに、3年計上が決定されたのち、木村氏が一切の批判を示さなかったこと、
⑤竹中平蔵金融相が2003年2月7日の閣議後懇談会で株価連動投信ETFについて、「絶対もうかる」と発言したこと、
⑥朝日監査法人で自己資本不足認定によるりそな銀行監査委嘱辞退決定に強く反対したと見られるりそな銀行担当会計士平田聡氏が2003年4月24日に、自宅マンションから転落死したこと、
⑦政府がりそな銀行を救済したのち、りそな銀行幹部が一掃され、新たに政府近親者がりそな銀行幹部に送り込まれ、自民党に対する融資を激増させたこと、
⑧2006年12月18日の朝日新聞朝刊にりそなの対自民党融資激増のニュースをスクープで報じたと言われる朝日新聞記者鈴木啓一氏が東京湾で水死体になって発見されたと言われていること、
⑨りそな銀行が標的にされた理由が、りそな銀行最高幹部が小泉竹中経済政策を厳しく批判していたことにあるとの疑惑が存在すること、
⑩りそな銀行処理の基本スキームが米国から竹中氏に伝授された疑いが濃いこと、
など、疑惑の総合商社状態になっている。
2002年10月に発足した小泉改造内閣の下で、竹中平蔵金融相は直ちに金融再生プロジェクトチーム(PT)を編成し、10月末に「金融再生プログラム」をまとめた。
このプロジェクトのなかで、木村剛氏は銀行の自己資本算定時の繰延税金資産計上を米国並みのゼロないし1年に圧縮するとの提案を示した。PTはその制度変更を2003年3月期決算から適用する考えまで示唆した。
猛反発したのが銀行界である。ゲームの最中にルールが変更されたのではゲームを行えないというのが銀行界の主張であった。正当な主張である。
米国の場合には貸し倒れのリスクに備えて引当金を積み立てることが無税で認められていた。その代わり、繰延税金資産の計上が制限されていたのだ。日本の場合、貸倒引当金の無税償却は認められておらず、その見合いで繰延税金資産計上が相対的に多く認められていたのだ。木村氏はこのような基本事項さえ理解していなかったものと考えられる。
銀行界で最も強烈な反発を示したのが三井住友銀行の西川善文頭取だった。しかし、西川氏の姿勢は2002年12月を境に急変した。西川氏は同年12月11日に竹中氏、ゴールドマン・サックス証券のCEOポールソン、同COOセイン氏と密会し、ゴールドマンからの資金調達と竹中氏からの2003年3月決算クリアの保証を確保したのだと見られる。
金融庁は2002年10月30日に「金融再生プログラム」を発表した。
このなかに、ひとつの条文が潜り込まされていた。
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1.新しい金融システムの枠組み
(2)中小企業貸出に対する十分な配慮
主要行の不良債権処理によって、日本企業の大宗を占める中小企業の金融環境が著しく悪化することのないよう、以下のセーフティネットを講じる。
(ア)中小企業貸出に関する担い手の拡充
中小企業の資金ニーズに応えられるだけの経営能力と行動力を具備した新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化や中小企業貸出信託会社(Jローン)の設置推進などを積極的に検討する。
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注目される部分は、
「新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化・・などを積極的に検討する」という表現だ。
木村氏は中小企業金融銀行設立の意向を有していたと見られる。金融再生PTのメンバーになった地位を利用して、金融再生プログラムのなかにこの文言を潜り込ませたのだと思われる。
また、木村剛氏はりそな銀行を自己資本不足に追い込むために、りそな銀行の監査法人である朝日監査法人への働きかけを行ったと見られる。そのひとつの表れが、2003年3月17日の木村剛氏と朝日監査法人亀岡義一副理事長とによる会食である。
会食の直接的な理由は、亀岡氏が木村氏に株式会社オレガの代表取締役落合伸治氏を紹介するためだったという(「月刊現代」2009年1月号佐々木実氏論文)。
木村氏は将来利益の計上が困難視される状況の下では、繰延税金資産の計上を認めるべきでないことを、りそな銀行を念頭に置いて説得したと考えられる。
上記論文執筆者の佐々木実氏は、4月16日に朝日監査法人が速報ベースのりそな銀行決算見通しを受け取って以降に朝日監査法人最高幹部が示した見解が、木村氏の主張と瓜二つであることを指摘している。
朝日監査法人は2002年3月にKPMGと提携契約を締結している。木村氏はKPMG関連の日本法人の代表を務めていたのであり、木村氏は竹中平蔵氏との強い関係とKPMG関連法人代表の立場を利用して、朝日監査法人にりそな銀行を自己資本不足に追い込むことを強く要請したのだと考えられる。
日本振興銀行問題に戻すと、同銀行の設立までの経緯は以下の通りである。
2003年 4月 落合伸治が準備企画会社「中小新興企業融資企画株式会社」を設立し社長に就任
2003年 8月20日 銀行免許の予備申請
2003年10月31日 予備申請認可
2004年 3月15日 本免許申請
2004年 4月13日 金融庁より銀行免許交付
2004年 4月21日 開業
2005年 1月 1日 取締役の辞任が相次ぐ中、創業メンバーで、取締 役会議長(社外取締役)の木村剛が自ら社長に就任
最大の特徴は、金融庁が異例のスピードで新銀行設立の審査、認可を行ったことである。上記の通り、2003年8月に銀行免許の予備申請を行って、翌年4月には銀行を開業している。
創業者である落合伸治氏は木村氏を含む役員に銀行役員を解任され、木村氏が社長に就任したのだが、結果からみると木村氏は落合氏などに銀行を設立させて、設立させた銀行そのものを乗っ取ってしまった形になる。
金融再生プログラムに私的な営利活動のための条文を忍び込ませ、銀行設立を申請し、金融庁が異例の迅速さで審査および認可するとの行動は、行政の私物化以外の何者でもない。法令違反の有無を詳細に検証する必要がある。
政権交代が実現し、金融担当相に亀井静香氏が就任して、初めて日本振興銀行の黒い霧にメスが入れられることになった。さらにりそな銀行疑惑に対しても真相究明の力が波及することになるだろう。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
真相の徹底解明が求められる。
これは、6月時点なので解明が望まれると結んでいるが、この深層までは行き着かないのではという疑念が出てきた。
先ほど速報で、以下の記事が配信された。(朝日)
東京地検特捜部は3日、日本振興銀行の前会長・木村剛容疑者(48)ら4人と、法人としての同行を銀行法違反(検査忌避)の罪で東京地裁に起訴した。
警視庁の逮捕容疑では、木村前会長らは金融庁による立ち入り検査を受ける直前の昨年6月中旬、振興銀のサーバーに接続して業務に関するメール約280本を削除したとされる。また、木村前会長らは検査が開始されて2カ月後の昨年8月中旬にも、業務メール約430本を削除して検査を妨げたとして、追送検されていた。
削除されたメールには、経営破綻(はたん)した商工ローン大手SFCGや、振興銀の融資先企業など百数十社で構成する「中小企業振興ネットワーク」の加盟企業との間で送受信された内容が含まれていたとされる。
木村前会長は振興銀の設立メンバーで、社長や会長を歴任したが、今年5月に業績悪化を理由に辞任した。
この「検査忌避」という罪は一体どのくらいの罪なのだろうか。
ここだけで終わったのならば、全く拍子抜けもいいところである。
何のための逮捕だったのか。
他の罪状による起訴はあるのだろうか。
本丸はここではないのだが、そんなことを検察に求めるのは到底無理なのだろう。
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