いしいさやさんの漫画『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が話題になっています。「現代ビジネス」や「ダヴィンチ」の記事にも取り上げられて、ますます伸びそうな勢い。

公式サイトもあるようです。

 

二世のあるあるが詰まった漫画だったなあと思います。

年代や地域、家族構成や関係者の性格などなど、人それぞれに違うところもありますけれども。

というわけで、触発されて思い出したこと、考えたことなど。

 

まず、学校や友達のこと。

学年が上がって担任が変わるたびに「証言」をするのが決まりごとになっていましたね。

クラスメイトにはごく簡単に「宗教上の理由で」の一言で済ませたりしていました。

 

まわりの反応は割とあっさりしたものでした。

体調が悪くて体育を見学した時まで「宗教上の理由」かと勘違いされたこともありましたっけ。

また、前にもブログに書いたことがありますが、同級生の一人が自分の誕生日会をカレーパーティーと称して私も呼んでくれたときは、とても嬉しかったです。

 

公の奉仕で同級生の家に入ることは、多少の気まずさは感じながらも、普通にやっていました。

ただ、中学校に入ったころ、同級生の家に入ることに猛烈な恥と怖れを感じたことがあります。

恥を感じるのは信仰が弱いからだと当時の私は思っていたので、困惑しました。信仰を強めてください、あるいはその家に入らないで済むようにくださいとエホバに祈ったほどでした(笑)

 

あれは何だったんでしょう…。その相手は特に気になっているわけでも何でもない同級生だったはず。もしかしたら、私の覚醒が近い時期だったのかもしれません。

 

 

あと、いしいさんの漫画やインタビューでは、未信者のお父さんが我関せずでお母さんの好きなようにやらせていたとありました。

うちもそうでしたし、片親JW家庭ではあるあるな気がします。

私の父は、最初は反対者だったそうですが、私が生まれたころには協力的な未信者になっていました。あまつさえ、中学生で足抜けしようとした私がJW家族から迫害されていたとき、父は私が家庭に騒乱を持ち込んだかのような物言いで「家を出るまでは我慢して合わせていればいいものを」といったほどです。

 

後日、私が30代のときに父と居酒屋で飲みながら「あの時、そんなことを言ったよね」と言ってみたら、父は「絶対に言ってない」とかたくなに否定しました。。

まあ私の父はアル中だし無責任なのは仕方ないな…と思ってしまうのですが、いや、そんなことで免罪しちゃいかんのだろうなという気持ちもあります。

とはいっても、父は母と違って私の存在を肯定してくれたし、もう故人なので、恨む気持ちがあまりないのですが。。

 

いずれにしてもカルトなりアルコールなり、依存症にはまりこむというのは、目前の問題から逃げるにはもってこいの生き方ですね。

親たちは何から逃げたかったのか…。ある程度わかる気もするし、わかっていない部分もありそうです。

ともかく自分は、親たちのように酩酊してごまかすのではなく、おおむね覚醒して地道に生きていきたいなと思います。