宗教映画祭で上映されている映画のひとつ「カナリア」を観ました。

映画館には行けず動画ですが、大変よかったです。


宗教施設から保護された少年の、その後を追う物語でした。

入信した母親への慕情。植え付けられ、骨肉にしみこんだ教義。強圧的な母方の祖父への反発。自分たちと相いれない社会への(言外に察せられる)疎外感。そんな彼の生きる道の模索。

 

よく描かれているなあと思いました。

これはオウム事件に想を得た映画なのだそうです。監督はよほど対象によく取材して製作されたのかと思ったら、じつは、オウムの子らのニュース映像を見ただけで、会うこともかなわず、ただひたすら考えてつくったのだといいます。

 

主人公の少年と、行動をともにする少女、教団施設で子ども係をしていた(元)信者という、主要な役どころの俳優陣もじつに見事でした。

 

 

とくに私がぐっと来たのは、作中で主人公の救いへの道が開かれているところです。

宗教とか反社会的とかそういった背景をもつものは、世間でとかく珍獣扱いだったり、悲劇に落とし込まれたりしがちな気がしますが、そういう安易なストーリーに依らず、当事者の少年の救い、生きる道を描いている・・・というところが、私にはツボでした。

だって、傷だらけで放り出されたカルト二世だって生きたいですからね。生きていますからね。

 

だいぶネタバレになってしまいますが、教団で子ども係をしていた役の西島秀俊が、「強くなれ!光一!」と主人公を叱咤するシーン、そして後日「お前はお前でしかない」と、主人公に(そして自分自身に)切々と語り掛けるシーンも印象的でした。

二世の物語であるとともに、幻滅した一世にも寄り添う話ではないかと思いました。

 

そして、二世の私としてはやはり、ラストシーンの主人公のせりふがとても胸に応えるものがありました。教え込まれたものも自分の一部、持ち札として、総力をあげて生きればよいというメッセージを感じたのです。戻る世界を持たない二世、何もなかったように過去を捨てて世に同化することが難しい、そういう立場の二世にとっても、なんだか渾身のエールを送ってくれている映画のような感じがしました。