さらにネタバレ含みます。
それにしても、タイトルは『沈黙』なのに、いろいろと喋りたくなる作品です。
★信念への問い
もうひとつ、映画で印象的だったのが信仰(や信念)をもつ者への問いです。
「お前の真理が普遍的に正しいとどうして言える」「お前に何がわかっているのか」。
原作以上に映画では、この問いがはっきり突きつけられていたような気がしました。
映画でも小説でも、宣教師目線で「日本ではキリスト教が変質する」とか「日本の百姓たちはキリスト教の神や天国を誤解している」といったせりふが語られます。しかし、映画を観ているとなぜか自然と「ではヨーロッパの農民はどうなのか」「西洋のキリスト教は、本来の正しいキリスト教なのか」という問いも浮かんだのでした。
それは映画のなかで描かれる日本の、圧倒的な映像美のためかもしれません。この外国人監督が繰り出す映像美には、日本の自然、文化、人間に対する敬意が満ち溢れています。そのために、「日本人は西洋の超越的な神の概念を解さない」などという言葉も日本へのダメ出しとはならず、「それが何か?では西洋人は正しいとでも?」という逆説的な疑問になってしまう気もしました。
とくに印象的なのが、主人公ロドリゴ神父とキリシタンを弾圧する長崎奉行・井上の問答。
ロドリゴが「あなたはキリスト教をご存じない」と言うと、井上はそれにひと言も答えず、驚きとあざけりを浮かべて目を見開き、ただ哄笑をもって応じます。原作ではここで、自分も昔キリスト教を学んだのだという井上のせりふが入りますが、映画では省かれています。それによって、井上がキリスト教を知っているかどうか等より、神父自身に「そういうお前はどうなのか。どれだけ(キリスト教を)知っているのか」という問いが投げ返されたように見えました。
私は不信仰者ですし、JWからいじめられたトラウマがあるので、クリスチャンとか、真理だの正義だのと言う人たちに対して、心の奥底に不信感、もっといえば悪意さえ抱いています。(この作品にあらためて触れて、それを思い出しました)
それで、「クリスチャンは正しいのか」「あなたの言う真理は普遍なのか」という問いを鋭く投げている(ように思える)この作品に、よくぞ言ってくれた!という感じがしたのです。
「その真理は普遍なのか?」という問いは、宗教の布教に限らず、グローバリズムによる西洋的価値観の押しつけ、もっと身近な「よかれと思って」かける言葉、そういうものも射程に含むとは思いますが。