子どものころ、母の昔語りをよく聞いていました。

私は幼稚園も保育園も行かない生まれながらのJW2世でしたから、母と過ごす時間が多かったのでしょう。

 

母は北東北の出身で、実家は資産家の「庄屋」だったそうです。母が子ども時代を過ごした田舎の家は、周辺の小作人の家とは一線を画す立派な屋敷で、堂々たる威容を誇っていたとのことでした。

 

母のきょうだい構成は、長女、長男、二女、三女(母)、四女。

長女、長男は戦中生まれで、幼少期のかれらは、祖父の赴任先である満州で派手な暮らしをしていたそうです。長女にあたる伯母は見るからにキチッとした夫人でしたが、母はこの人を嫌い、二女にあたる伯母を慕っていました。二女伯母は独身で養護教師を続け、40前後で白血病になり亡くなりました。三女母は貧乏夫とカルトにはまりました。その妹である四女叔母は、結婚詐欺師にだまされ(といわれている)、シングルマザーでしたが心を病んでいる風で、一族で集まっているときも所在なげでした。


長男にあたる伯父は、長男ということで特別扱いされて育ったそうです。東京の私大に通い、遊蕩だか詐欺にあったかのために何度も祖父の山を売り払わせたという、小説から抜け出してきたようなお坊ちゃん伝説を母から聞かされました。

 

私は母の実家の人びとに会ったことは数回ありますが、祖父や伯母たちは暗いか厳しい感じの人たちでした。伯父は記憶にありません。祖母とはなんどか接触があったものの、こてこての地方言葉で話しかけてくるので適当なところで相槌を打つのに全精力を費やしてしまい、祖母自身の印象があまり残っていません。

 

 

そういう家で生まれ育った母は、祖父から「小作人やその子ら」を見下す発言を聞かされて育ち、そんなものと遊んではいけないという掟に反発したこともあったそうです。

たとえば、リンゴを使って…。母の出身である北東北はリンゴの名産地ですが、母の子ども時代、「インドリンゴ」という大変珍重されるリンゴがありました。それはそれは大きくて、お菓子のように甘くて美味しい、すばらしいリンゴだったそうです。

 

ちなみに、私は30代になってから青森駅前のリンゴ屋で「インドリンゴ」が売られているのを見つけて食べてみたことがありますが、水気がなく甘みもさほどでなく幻滅しました。現在では、「ふじ」を筆頭としていろんなおいしいリンゴがつくられていますからね。

 

ともあれ、祖父に反抗する少女だった母は、その貴重な「インドリンゴ」を蔵から持ち出し、小作人の子たちに1人1個、気前よく与えてしまったことがあるのだそうです。

それを知って祖父の怒ったこと怒ったこと。「取り返してこい!」と怒鳴っても、そんなのもうお腹のなかに消えているし、どうしようもなく。結局、祖母がとりなしたのでしょうかね。

 

おのれの幼き日の小さな反抗を語りながら得意げに微笑んでいた母が、その反発の対象であった祖父と同じく、自分の子に「世の子と遊んではいけない」とかなんとか禁忌を敷き、逆らう子に激高していていたのを思い出すと皮肉な気がします。