世界は自分を中心に回っている。
86%カカオポリフェノールを含んだチョコレートを齧りながら、彼女は断言した。
こともなげに。
そんなことない。
僕はすぐに否定する。
少なくとも僕は、今世界で起きていること全てを知っているわけじゃない。
今世界で起きている全ての「こと」を知らない以上、僕が世界の中心であるはずがない。
現に僕は、僕の目の前にある新聞の一面記事を飾る殺人事件について、何も知らなかった。
その記事の下にある、政治家の汚職について知ったのも、この新聞を読んでからだった。
それらは全て、どこか遠いどこかで起こった出来事。
あなたは雨が降ったら、どう思う?
彼女は口に含んだチョコレートを舌で転がしながら、僕の目を見る。
僕は雨が降った場合を考える。
嫌いじゃない。
僕の答えに彼女は頷いて、さらに質問をした。
晴れたら、大好きなひとと一緒に出掛けるはずだった日に、もし雨が降ったら?
それは嫌だ。
今度はすぐに答える。
晴れたら、大嫌いな水泳の特訓をしなければならなかった日に、もし雨が降ったら?
…水泳は大嫌いっていうわけじゃないけど、
と僕は前置きをし、咳払いをしてから答える。
もし嫌いだったら、雨が降って良かったと思う。
チョコレートのアルミ箔を剥がしながら、彼女は重ねて質問をする。
雨は嫌いじゃないのに?
質問の意味と彼女の考えを量りかねて、僕は黙った。
彼女は、剥がしたアルミ箔を右手で千切り、手の中でくしゃくしゃにした。
同じものも、同じ出来事も、あなたはその時々によって違う受け止め方をする。
彼女は視線を自分の右手に注いだまま、言葉を続ける。
それは、あなたが世界を判断しているということ。
それはつまり、あなたはあなたの世界の中心にいるということ。
チョコレートが割れる音を聴きながら、僕は言葉を口にする。
欺瞞だ。
傲慢だ。
そんなに簡単に、世界を我がものに出来るなら、何も苦しむ必要なんてない。
僕がこれまで生きてきた20年にも満たない時間でさえも、こんなにも苦悩に満ちているのに。
僕よりほんの5年先に生まれたばかりの彼女は、何も苦しまなかったと言うのだろうか。
自分よりも優れた人間がいる。
自分よりも博識な人間がいる。
それなのに、この世界が自分のものだなんて、どうして言える?
僕は、巨大な世界というパズルの中の、何十億分の1のピースでしかない。
それが事実だ。
僕は、きつく締め付けられたように、細まった喉から声を絞り出す。
一呼吸置いて、彼女が言う。
だけど何十億分の1のピースが1つでも欠ければ、その世界は完成しない。
それもまた事実。
彼女の声は淀みがない。
チョコレートの苦さも、とろりとした触感も、何の影響も受けない。
パズルという世界から見れば、あなたは1ピース。
あなたから見れば、世界はあなたが見る何十億のピース。
あなたが見ているからこそ、存在できる世界がある。
そして僕の身体の中に、じんわりと沁み渡る。
あなたが感じる世界は、あなたにしか感じられない。
あなたが見る世界は、あなたにしか見られない。
だから、あなたのいる世界は、あなたでなければ存在させられない。
そう言ったときの、彼女の頬に落ちる睫毛の影の美しさは、僕にしか分からない。