夜店で見掛けたプラスチックの半透明の小さな置物。部活の合宿先の土産物屋で見付けたスノードーム。いつだって、そういうものに目が行く。買うはずなんかないのに。自分自身に嘲りを覚えながら、あいつに声を掛ける。お前、彼女にこういうの買ってやったら良いんじゃないの?
手をつないで幼稚園バスに乗ってた頃があった。隣の席が良いと言って2人して泣いたこともあった。いつだって一緒にいる、と言われていたし、そう言われて得意になってたのは自分だけなじゃかった。
小学校、中学と進級するに従って、2人だけでいる時間はどんどん少なくなった。互いに気の合う仲間がいて、そのメンバーと遊ぶようになり、時々その仲間の輪の中に互いが入っている状態が多くなった。だけど、少なくとも俺にとって、彼女は他の誰とも違う、ちょっと特別な存在だった。彼女がそう思っていたかどうかは分からないけれど。
ある日、俺は同級生の女子から告白された。そもそも告白されるということが予想外だったし、告白された相手からも全然そんな素振りを感じていなかっただけに、びっくりした。俺のことを好きだという、その理由は分からなかったけど、ふわふわした気分になって、ひとまず告白を受けることにした。
他人から好きだと言われたことなんて初めてだ、と思ったとき、ふと彼女が脳裏に過ぎった。彼女は、俺の中では他人にカテゴライズされていなかった。じゃあどんな関係なのかと問われるとよく分からない。あくまでも「特別な」という形容動詞しかつけられない。
俺に彼女ができたということを、誰が言ったかは分からないが、いつのまにかグループの仲間は知っていた。告白された女子とは互いに苗字に「さん」「くん」を付けて呼び合いながら、でも部活の都合のつく日は途中まで一緒に帰るようになった。最初は冷やかされることもあったが、そのうちそんなこともなくなった。ただ一緒に帰るだけで、手を握ったこともなかったせいかもしれないし、周りのやつらも彼氏や彼女ができて、他人のことなんてどうでもよくなっていたのかもしれない。
2年の6月、雨が降っていたあの日。いつも通り、俺は告白された女子を駅の改札口まで見送って、自分の家の方向に足を向けた。その少し先を、彼女が歩いていた。一人じゃなかった。俺の親友が、彼女の横に立って歩いていた。彼女の水色の傘を、彼女が濡れないように、その代わり自分の左肩を雨に打たせながら、あいつは彼女の傘を持っていた。
知らなかった。気付きもしなかった。相談も受けていなければ、報告も受けていない。でもそれは俺もそうだ。でも、いつのまにか皆知っていて、当たり前のことになっていた。だけどそのときの俺は冷静じゃなかった。なんで?と思うばかりで、2人の姿が郵便局の角を曲がって見えなくなってからも、まだ駅前の周辺地図案内板の前から動けずにいた。
数日後、俺は親友を含む部活の仲間と一緒にゲームセンターにいた。ふとUFOキャッチャーの中のキャラクターぬいぐるみに目が行った。俺に告白した彼女ではなく、「彼女」が好きなキャラクターだ。親友が、UFOキャッチャーをやるのか?と訊いて来たとき、俺は何気なく、お前の彼女、あのキャラが好きなんだから取ってやれば良いのに、と言葉を返した。俺の言葉に、親友は一瞬きょとんとした顔をして、そうなの?と答えた。その返事を聞いて、俺の中に不思議な気持ちが芽生えた。「彼女」のことを、俺は彼氏であるこいつよりも知っているんだ、と。
翌日から、彼女のカバンに、あいつが取ったぬいぐるみがぶら下がるようになった。それを見て、あいつは嬉しそうにしていたけれど、同時に俺も嬉しかった。「俺が教えてやった」という想いがあった。それ以来、俺はあいつに彼女の好きな色んなものを薦めた。それに嘘はないし、手が出せないような高価なものもない。あいつは俺に感謝こそすれ、俺がどんな想いで薦めているのかまでは探ろうとしなかった。恐らく彼女もまた、それが俺に薦められてあいつがプレゼントしているものだということに、気付いていなかっただろう。そして、俺にとってもそれで良かった。
彼女は俺の知っているままでいて欲しかった。俺の知らないところで、俺から遠く離れた存在になってしまわないように、あいつを使ってコントロールしていたのだと思う。成長とともに外見も内面も変化はすれど、根本的なものは変わらないように。いつだって俺が一番彼女のことを理解しているように。それを無意識のうちに求めていた。
3年への進級を控えた最後の期末テスト最終日、彼女と帰りが一緒になった。よく考えれば彼女と一緒に帰ることばかりか、2人で歩くこともなくなっていたことに気付いたが、そんなブランクは感じないぐらい、昔と変わらず彼女の隣りは居心地が良かった。付き合っている彼女との関係は順調だったが、余所余所しい空気が漂うこともあり、まだぎこちなさは抜けきっていなかった。そんな話をし、そっちはどう?と彼女に話を振った。彼女は少し考えたあと、それも含めて彼が好きだよ、と微笑みながら言った。自分のことを考えてくれるのが分かるから、それが多少望んでいるものと違っていても、その気持ちが嬉しいよ。そして、ゆっくり息を吐きながら呟いた。
彼が、私にとって誰よりも特別なのと同じように、彼にとってもそうであって欲しいな。
その言葉の意味が、じんわりと沁みて来る。誰よりも、この自分よりも、彼女にとってはあいつの方が特別なのだと、そう彼女は言った。あいつの方が。俺よりも。彼女のことを誰よりも理解している俺よりも。何も知らずに俺の言いなりになっているあいつの方が。なぜ。どうして。
―どうして、俺じゃないんだ?
言葉には出来なかった。ただ悔しくて。羨ましくて。裏切られたようで。悲しくて。馬鹿みたいで。俺は帰宅するなり、ベッドに潜り込んでしゃくりを上げて泣いた。どうしてこんなに涙が出るのかは分からない。何に対して泣いているのかも分からない。ただ止まらない。嗚咽が部屋の外に漏れないよう、枕に突っ伏しながら、枕を涙でびしょびしょに濡らした。なんでだ。何がだ。どうしてだ。もう嫌だ。
何もかも分からないまま、深夜まで泣いた。息をすると咽喉の奥で笛のような音がした。制服のシャツとパンツとネクタイはしわくちゃになっていた。泣き過ぎて頭が痛かった。顔が濡れていた。睫毛に涙がついているのか、視界はぼんやりとしていた。薄暗い部屋の中で、鏡を見なくても自分の酷い有様は手に取るように分かった。俺に分かることなんて、そんなもんなんだ。そしてきっと、と俺はまた込み上げて来る涙を我慢しながら、でも自分に言い聞かせるために呟いた。これが失恋というものなんだ。