長かった髪を、彼の嫌なショートに変えた。
髪を切って、何も変わったことなんてない。だけどクラスメイトは何だかんだと囃し立てる。何かあったの?気分転換?そんな言葉に曖昧な笑顔を浮かべて応えていたら、誰かがふとこう言った。
「やっぱり、失恋したから?」
失恋したら髪を切る、なんていうのは、一体誰が考えついた意味付けなんだろう。昔から髪には色んな意味が込められていたというのは知ってる。平安時代、髪の長さと黒さは美しさの象徴だった。ラプンツェルは、愛する男のために髪を伸ばし、幽閉されている塔から髪を垂らして、男がそれをつたって登って来るのを待った。だけどそれはそれ。今のあたしに、そんな深い意味合いなんて必要ない。
クーラーの効いた教室の、窓際前から3列目。そこがあたしの席。目の前には、真っ白な半袖シャツをまとった男子の背中。斜め右側には、新しい公式を板書する先生。頬杖をついた左手の向こうには、夏のグラウンド。空は青く、薄い雲が浮かんでいる。雲に遮られていた太陽の光は、雲が流れるにつれて、その光の強さを変えていた。
あたしの、少し長い前髪が光を反射する。きらきら。茶色がかった髪が金色になり、あたしは左手で前髪を軽く触った。それでも前よりもずいぶんと短くなったものだ、と今更ながらあたしは思う。少し俯いて、左手で、今度は髪全体を梳いてみた。髪は光を受けてきれいに光った。ああ、そうか。あたしはその光を見ながら、気付いた。あたしが髪を切ったのは。
「夏に誘われたから」
夏休みになっていたけれど、あたしは学園祭の準備のために、何日も学校へ通っていた。学園祭で上演する劇の台本を見ながら、その日もあたしは学校へ向かうバスに乗っていた。バスの乗客は少なく、あたしは運転席の2つ後ろの席に座って、自分が劇で担当する音響について考えていた。風の効果音をフェードインさせることに決めたとき、バスは地下鉄のバスターミナルに停車した。
そこで乗って来た乗客は3人。2人は仲の良さそうな老夫婦で、一番前の2人掛けの席にそっと腰を下ろしていた。そしてもう1人が彼であることを、あたしは一瞬で気付いていた。彼はあたしの視線に気付いていたようで、久し振りとだけ唇を動かし、あたしに向けて微笑んだ。あたしは右手を少し挙げて応え、彼はあたしの左側を通り過ぎて後ろの方の座席についた。
あたしの学校のものとは違う、緑のギンガムチェックのネクタイが、運転席にあるバックミラーにチラチラと映り込む。彼とはもう別れて1ヶ月以上が経っている。たった一瞬だけとは言え、顔を見るのはそのとき以来。あたしは座席に深く座り直し、また台本に目を落とした。
彼は、自分が降りる停留所が近付くと、席を立って乗降口まで歩いて来た。そしてあたしの横に立ち、そっと言葉を掛けて来た。
「お前、その髪の方がずっと良いよ。」
あたしは相槌を打とうと顔を上げ、彼を見上げる。彼は視線をバスのフロントガラスに向けたまま、言葉を続ける。
「お前らしいよ、おれといたときより、ずっと」
バスの乗降口が音を立てて開き、彼は定期を運転手に見せて、黙って降りて行った。
何も変わってなんかいないはずだった。だけど、あたしは目頭が熱くなって、思わず顔を下に向けた。何も見えない。ただ彼の言葉が繰り返される。お前らしいよ、おれといたときより、ずっと。
あたしはどうして、「彼の嫌なショート」にしたの?