わたしとあなたと、あなたとエッセイ。 -2ページ目

わたしとあなたと、あなたとエッセイ。

● essay1 & essay2
みなさまからお題(essay1:テーマ、essay2:写真)をいただき、そのお題でエッセイを書いております。
● my properties
自分の所有物を通じて、自らを俯瞰しようと試みるエッセイです。
● 400 words diaries
400字の日記を365日間、書きました。

 

【2019年8月5日(月)】

 

おかんの誕生日が近いのもあったので、土曜の夜、急遽、実家に帰った。

 

帰ったからと言っても特別何をするわけでもないが、やっぱり子供にごはんを食べさせるのは嬉しいようで、突然帰ったのに、色々用意してくれた。

 

親父は親父で、数年前から仏像の彫刻をやっているのだが、めっきり腕を上げたようで、自分の作品を自慢げに見せてくる。

 

しかも、彫刻に飽き足らず、陶芸まで始めていたのには驚いた。

 

来年で70歳だという。

 

その歳で、どこからそのクリエイティブ欲が出てくるのか。

 

本当に頭が上がらない。

 

僕は心から親父を尊敬している。

 

 

昨日は、おかんと飲みに行った。

 

お酒を飲んで話しをしている時のおかんがなんだか一番楽しそうに見える。

 

その後は、それこそ20年振りぐらいに、一緒にカラオケに行った。

 

 

こんな当たり前の光景も、きっと全然当たり前なんかではない。

 

親孝行なんて、そんな大層なことはできないが、二人の姿とその生き様を、心に焼き付けたいと思った。

(405文字)

 

【2019年8月4日(日)】

 

もっと、優しくしてくれてもいいのに。

 

もっと、積極的にやってくれてもいいのに。

 

もっと、お礼言ってくれてもいいのに。

 

もっと、手伝ってくれてもいいのに。

 

 

欲深き我は、多くを人に求めてしまう。

 

 

もっと、周りの人が優秀だったら出来るのに。

 

もっと、権限くれれば出来るのに。

 

もっと、お金があれば出来るのに。

 

もっと、時間があれば出来るのに。

 

 

欲深き我は、多くを環境に求めてしまう。

 

 

そんなものは全く以って関係がない。

 

出来ない理由をこれでもかと探してきて、自分のこの現状を肯定し、保身することに夢中だ。

 

 

必要なのは、

 

「自分がどうしたいか」

 

「自分は何をすべきか」

 

それだけ。

 

それだけを、その胸に問うてみよ。

 

 

人目を気にする必要もない。

 

誰かと比べる必要もない。

 

自分の能力を卑下する必要もない。

 

いたずらに自信を持つ必要もない。

 

 

バカにする奴には、好きに言わせろ。

 

そんなプライドなら、今すぐ捨てろ。

 

 

本気であるなら、いつだって、今、この瞬間に、変わることが出来る。

(410文字)

 

【2019年8月3日(土)】

 

この世界のルールは勝者が作ってきた。

 

それぞれに正義があり、その相違により戦う。

 

勝ったものが正しく、負けたら裁かれる。

 

それだけのこと。

 

歴史にifはないが、もし太平洋戦争で日本が勝っていたら、東京裁判なんてものはもちろん存在せず、連合国に対して、日本は同じことをしたのだろうか。

 

 

幕末の討伐もまた、新政府軍が勝ったから、日本のルールが大きく変わったわけで、旧幕府にだって義はあった。

 

どちらが正しいもない。

 

ただ、戦い、いずれかが勝ったというだけの話。

 

 

この生物の世界だって、人間が最も知恵があったから、生態系ピラミッドの上に立っている。

 

どちらが偉いもない。

 

SF作品のように、もしかしたら、AIが人間界を駆逐する日も来るのかもしれない。

 

 

強いものがルールメイカーであることは世の常として、でも、そこにはルールメイカーとしての圧倒的な自覚と義務が必要なのではないだろうか。

 

全ては関係し、循環しているということを忘れてはならない。

(406文字)

 

【2019年8月2日(金)】

 

流れを作りたいのなら、与えるしかない。

 

奪い合っても、そこに流れは生じない。

 

 

もし、この世の全てにおいて、循環することがあるべき姿なのであれば、我々は与えねばならない。

 

与え続けなければならない。

 

奪うことは、停滞を生み、停滞は歪みを生む。

 

 

もう、いい加減、気づくべきだ。

 

認めるべきだ。

 

その、今その抱いている欲に終わりはなく、満たされることはない。

 

 

求めたその全ては、

 

そのポケットの中に、

 

その手の中に、

 

今、この瞬間に、存在している。

 

きっと、そんなことは、もう、みんなわかっている。

 

 

その命はどこから来たのか。

 

そしてどこへ行くのか。

 

その命をこの世に齎した親は、命の一部ではないのか。

 

その命を育ててくれたこの世界は、命の一部ではないのか。

 

私とは何で、あなたとは一体何なのか。

 

 

どうか、その知恵を未来に。

 

どうか、その技術を未来に。

 

どうか、その優しさを未来に。

 

 

過去も現在も未来も、全てはこの一点にある。

 

与えよ。

 

与え続けよ。

(399文字)

 

【2019年8月1日(木)】

 

やっぱり家というのは僕にとっては魔物だ。

 

「家帰ったら、あれやろ」と思っていることの多くは出来ない。

 

急にやる気がなくなる。

 

家ではまともに本も読めない。

 

映画を見るか、youtubeを見るか、そんな受動的なことぐらいしか出来ない。

 

でも、ギリギリ朝は出来る。

 

寝起きで、かろうじて頭がクリアになっているからかもしれない。

 

だったら、さっさと寝て、朝にやればいいのだが、意外と寝つきも悪かったりする。

 

だから、基本、こうして文章を書いたりするのも、本を読んだりするのも、カフェに来ることが多い。

 

 

家とカフェでは一体何が違うのか。

 

他人がいるという、心地よい緊張感はあるのだろう。

 

「家には誘惑がある」という人もいるが、僕の部屋には、テレビもないし、あんまり物がないから、誘惑されることもない。

 

きっと、「自分のスペース」という安心感が、やる気を削いでいくような気がする。

 

やはり、最低限のストレスは生活にハリをもたらす上で、必要なものなのだろう。

(410文字)

 

【2019年7月31日(水)】

 

「壱人両名」という本を読んだ。

 

江戸時代において、一人で複数の名前を持っている人がいっぱいいたということを、様々な文献を用いて紹介していくという内容だった。

 

今、我々は、芸名でもない限り、基本的には一人一つの名前で生活している。

 

このルールが決めたれたのは、明治に入ってからのこと。

 

つまり、わずかここ150年ぐらいの話だということ。

 

 

以前に、「国語」に関する本を読んだことがあったのだが、そこにも、現在の日本語の多くは明治時代にできた話があった。

 

幕末があり、明治維新があり、時代が大きく変わったことは、学校の歴史の中でも教わった。

 

だが、その変化は、もしかしたら僕が想像しているより遥かに大きいのではないかと、最近漠然と感じてきている。

 

 

明治おいて、一体何があったのか。

 

今の日本を理解するには、その基礎が作られた明治という時代を理解する必要があるのだと思う。

 

何から学べばよいのか全くわからないが、出来るところからやっていきたい。

(408文字)

 

【2019年7月30日(火)】

 

突如、全てがリンクしてきた。

 

僕は、この世界のことが、なんとなくわかった気がする。

 

 

もちろん、細かいことは無知に等しく、一生かけても学び切れるものではないと思っているが、その全体の輪郭というか、イメージというか、体感でそれを理解できてきた。

 

ひどく抽象的な言葉を使っていることは重々承知だが、無理やり言葉にするなれば、全ては一つで、全ては循環しているということ。

 

そして、そこに価値や意味などないということ。

 

 

こいつ何を言っているんだ?と思うかもしれない。

 

別にスピリチュアルな話をしたいわけではない。

 

自分が今まで馬鹿なりに懸命に学んできた先に見えた、この世界の姿である。

 

 

という僕の意見もまた、この世界のone of themであり、そこに正解も間違いもない。

 

 

それでも、正しいことがないことを前提に、僕らは、この受け継いだ命を、この世界を、次の世代に繋げていく使命はあるのではないかと、そんな気がしてならない。

(397文字)

 

【2019年7月29日(月)】

 

比較的、僕は行動をしていると思ってきた。

 

何と比較してるのかもわからないし、何故そう思ってきたのかもわからないが、そう思ってきた。

 

が、そんな行動なんて話にならないぐらい、僕は行動力が足りていないことに気がついた。

 

全て、机上の空論だ。

 

何もしていないに等しい。

 

以前に友人からも言われていたが、自分は違うと勝手に思っていた。

 

 

何でもいい。

 

思いついたやつからやる。

 

 

何をそんなに恐れているのか。

 

一つには、自分がいいと思ったことが、他の人もいいと思ってもらえるかが不安というのはあるような気がする。

 

だから、何でも一人でやるのはすぐ出来る。

 

でも、人を巻き込むという所になると、急に臆病になる。

 

故に、何をやっても、そこにはインパクトがない。

 

 

いきなり大きいことは出来ないだろう。

 

でも、まずは少人数からでも、人を巻き込むことをやっていかなければ、僕はずっと口だけのままになってしまう。

 

 

新しいフェーズに入らねばならない。

(397文字)

 

 

【2019年7月28日(日)】

 

友人が、数年前からゴミ拾いの企画を始めた。

 

自分もそれに便乗するように、参加させてもらっている。

 

最近は、自分の暮らす街もやろうと思い、月1回程度ではあるが、個人的に行っている。

 

わかっている。

 

こんなことをやったって、また数日も経てば道端にゴミは転がるわけで、何の意味もないのだろう。

 

 

でも、これをやり始めてから気づいたことがある。

 

それは、ゴミは、自然界で分解されるのに、膨大な時を必要とすることである。

 

一度捨てられた、ペットボトルは、数十年程度では分解されない。

 

にもかかわず、街は比較的きれいだ。

 

ということは、間違いなく、それを拾ってくれている人がいる。

 

名もなき人の努力によって、この街のきれいさは保たれているということだ。

 

そんな当たり前のことに気づけていなかったことを恥ずかしいと思った。

 

 

何気なく捨てたゴミが、自然界に負荷をかけ、それはきっと、巡り巡って、必ず我々の元に返ってくることを忘れてはならない。

(400文字)

 

【2019年7月27日(土)】

 

加害者とは誰で、被害者とは一体誰なのか。

 

視点を変えれば、加害者が被害者となり、被害者が加害者となることもある。

 

全く関係ないと思われていた人が、ある日を境に、意思とは関係なしに、被害者にも加害者にも成り得る。

 

 

何か事件が起きれば、それを裁くため、ある一定の部分を切り取り、その事象においての被害者と加害者を決める。

 

もちろん、そうしなければこの共同体としての社会も成り立たないし、そうすべきだと思う。

 

そして、犯した罪は、相応に償うべきだとは思う。

 

でも、二項対立にして、わかりやすく善と悪を決め、悪を懲らしめてちゃんちゃんと終わらせられるほど、世界はシンプルではないような気がしている。

 

 

この世界において因果律が適用されるのであれば、全ての物事には原因と結果がある。

 

それもまた、複雑の事柄が絡みあっているわけだが、それに対して、果たして自分は全くの無関係だと言い切ることはできるのだろうか。

 

 

私にとって「私自身」とは一体何であろう。

(410文字)