わたしとあなたと、あなたとエッセイ。

わたしとあなたと、あなたとエッセイ。

● essay1 & essay2
みなさまからお題(essay1:テーマ、essay2:写真)をいただき、そのお題でエッセイを書いております。
● my properties
自分の所有物を通じて、自らを俯瞰しようと試みるエッセイです。
● 400 words diaries
400字の日記を365日間、書きました。

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君が手にした、誰かからもらったその何かは、とても美しく見えたの。


私だけじゃない。

きっとみんなそう思ってる。

もちろん、確認なんかしてないよ。

でも、そう。

みんな思ってる。

ずるいとすら思ってる。

絶対そう。


「なんで、君にはもらえたのに、私にはもらえないの?」


ちょっと酔っ払った時に、私、君にそんな質問をしたのを覚えてる?

そしたら君は、


「君だって、もらってるじゃん、僕にないの」


なんて、私の質問をはぐらかすように、そう答えたの。

知らないよ。そんなの。

なんももらってないよ。


「そんな大切なもの、そんな綺麗なもの、君だけで使うなんてもったいない。みんなに分けてあげなよ。もちろん僕にもね」


もう、何言ってるのか全然わからない。

でも、なんだか安心したの。

わからない。

全然わからない。

なんでだかわからないけど、この瞬間に愛おしさを感じたの。

愛おしいって、この感覚で合ってるの?

もう嫌。

どうしてくれるの。ねぇ。


 

たしか、小学校の修学旅行での話。

ホテルに着くなり、先生はフロアにみんなを整列させ、ホテル内での過ごし方についての説明をした。
食事の時間、お風呂の時間、就寝時間などなど。
そして、ひと通り説明が終わった時、一言、最後にこう言った。

「来た時よりもきれいにして帰るように」

使えば汚れるわけで、きれいにって言ったって限界があることぐらいは、流石に小学生の僕らでもわかる。
そんなこと言われたもんだから、一応、帰る前に、布団を整えて、物を元にあった場所に戻すぐらいはやった。

こんななんてことないエピソードを、仕事帰りに寄ったカフェで、突然ふと、思い出した。

「来た時よりも美しく」

もし、可能な限り未来永劫続けていくことが真理であるなら、きっと、この考え方は、とても大事なものになるのだろう。


今、電車に乗っていて、ふと急に、一昨日見た夢を思い出した。


一体何に怯えているのかはわからないが、警察やら、怖そうな人に追いかけられる夢を、比較的よく見る。


その中で、刺されたり撃たれたりとかもする。

だが、今まで、夢の中で一度も死んだことがなかった。

どんなに刺されても、意識はしっかりとあったのだ。


だが、おととい、初めて夢の中で死んだ。


謎の部屋の中で大量の太い鉄筋棒が僕の頭の上から降り注ぎ、走ってはみたが、逃げきることもできずに、一本の棒が僕の頭に当たった。


おわった。


次の瞬間、急に、シーンが変わった。

それはまるで映画の場面展開のようだった。

僕は、どこかの部屋の中で、机の上にある、木のおもちゃを見ていた。


ここがどこで、一体何があったのかはわからないが、一つ確かなことがあった。


僕は子どもに戻っていた。


窓から差す暖かく柔らかい光がを、おもちゃの後ろに優しい影を作っていた。

I like to write diaries.

Well, it’s not right.

I can’t help writing.

It’s right.

 

The first time I wrote a diary was when I was 19 years old.

It's been so long, I can’t remember why I started to write diaries.

But I wonder I had something that I wanted to spit out, and it hasn’t changed even now.

Though If someone said to me that It’s called de-stress, I think it’s true.

However, even if write, I can’t feel relieved.

Spitting something in my heart out helps me.

I can sustain my life for doing it.

I guess you feel it exaggeration, but it’s true.

 

I have no skill about self-expression, that’s why the only way to spit my feelings out is to write.

So I still keep on writing like this.

Recently, I started to draw pictures, thanks to it, I can get other way I express myself and I was so glad.

However, I wonder I’ll depend on words, because I was attracted including imperfection, helplessness and violence about it.

 

I don’t know how many notebooks I write since I was 19 years old.

All of them are at my parents' house.

 

This notebook is perfect to me, I like the size, number of sheets and price.

And it is my moral support.

 

 

僕は文を書くのが好き。

いや、嘘だ。

書くのが好きなのではなく、書かずにはいられないのだ。

 

初めて日記を書いたのは、確か19歳の頃。

何で始めたのかも今となっては思い出せない。

でも、きっと吐き出したい何かがあったのだ。

そして、それは、今も何も変わらない。

 

ストレス発散といえばそうなのかもしれないが、書いたら「あぁ、すっきりした」というものでもない。

吐き出すことで何とか循環を生み、生命を維持しているのだ。

大げさな話に聞こえるかもしれないが、それが事実だ。

 

とにかく、僕は何のスキルもないので、吐き出す手段が言葉しかなかった。

だから、ただ只管に、こうして書き続けているのである。

最近、「絵を描く」という行為を覚えたので、吐き出す手段が増えて嬉しい。

でも、やっぱり、言葉に縋る。

言葉の不完全さ、無力さ、暴力性、全てをひっくるめて、言葉に惹かれ、依存しているのだろう。

 

19歳の時に書いた初めてのあのノートから数えて、このノートは一体何冊目なのだろう。

全てのノートは実家に置いてある。

 

サイズ、枚数、価格。

どれをとっても、今のところ、このノートが最強のノートだ。

であると同時に、今もなお、僕の支えとなっている。

 

この目の前にある机は、何処の誰がどんな想いで作ったのかを、僕は知らない。

 

ポストに入っていたチラシは、何処の誰がどんな想いで作り、何処の誰がどんな想いでこのポストに投函したのかを、僕は知らない。

 

メディアに登場する政治家や経営者が方針を語っているが、その方針を、何処の誰がどんな想いで形にし、制度として、サービスとして世の中に広がっているのかを、僕は知らない。

 

 

存在を認識していなければ、それはその人にとって存在していないのと一緒だ。

 

でも、確かに、そこにあったのだ。

 

 

きっと、そんな、その他大勢の、名もなき人の、名もなき想いで、この世界は出来ている。

 

何かが生まれた瞬間、そっとカウントダウンのスイッチが押される。

 

自らの意思とは関係なく。

 

二度と戻れぬ、不可逆な世界。

 

 

この数字がゼロになった瞬間、この目には何が映るのだろう。

 

終わりか。

 

始まりか。

 

それとも、終わりも始まりもない、静かなグラデーションか。

 

 

もしかしたら、カウントダウンのスイッチなんて無かったのかもしれない。

 

そもそも、何かが生まれたということも無かったのかもしれない。

 

混沌へ向かう、階調の世界。

 

 

懸命に名を付け、摂理に抗うことが生きることなら、そんな愛おしく朧げな世界で、どう舞い踊ろう。

 

全ては、単なる便宜上の話。

 

ずっと、知りたかったはずの世界は、無色透明で匂いも何もなかった。

 

温度もない。

 

音もない。

 

そこにあるのかもわからない。

 

もちろん僕自身も。

 

 

全てはどうでもいいこと。

 

これは誰かの夢の中なのかもしれないし、吹けば飛んでいくような誰かの手のひらに乗った小さな水槽の中なのかもしれない。

 

そこから見える景色は、音もなく静かに崩れゆく。

 

悲しむことはない。

 

そう見えているだけだ。

 

そう見えていると思っているだけだ。

 

 

匂いも、温度も、音もない、無色透明な世界の中で、ただ只管に、踠き、息をする。

 

【2019年8月8日(木)】

 

朝、目覚めて、ベッドから立ち上がり、窓の方を眺める。

 

カーテンを開ける前から、その隙間には光が漏れている。

 

今日も、晴れているようだ。

 

 

両手それぞれに、カーテンの端を持ち、一気に開ける。

 

僕は、この瞬間が大好きだ。

 

外に見える景色は、いつもと変わるわけもないのだが、晴れた空が、1日を出迎えてくれるのは、何度繰り返したとて、嬉しいものだ。

 

ちなみに、仮に雨だったとしても、通勤手段が変わるので、「あ、電車で行かなきゃ」とは思うが、そんなに嫌な気持ちになることもない。

 

朝、目覚めて、カーテンの向こうに隠れていた景色が露わになるというのが、好きなのだろう。

 

考えてみれば、子供にやる「いないいないばぁ」だって同じことだ。

 

見えない世界のことを想像し、ワクワクするのに、年齢は関係ない。

 

 

きっと、明日もくる。

 

そう思っている。

 

でも、それは本当なのだろうか。

 

もし、明日が来ないことを知っていたら、今日の一日は何か変わるのだろうか。

 

 

その時を、生きる。

(410文字)

 

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今日で、無事、400字の日記を1年間書き切りました。

 

これからは、また何か気が向いた時に、何か書くかもしれませんが、一旦このシリーズは終わりにします。

 

ここまで読んでくださったたくさんの方々には、本当に感謝しております。

 

一応、一冊の電子書籍にして、思い出がてらにまとめるつもりなので、もしよかったら、そちらもよろしくお願いいたします。

 

本当にありがとうございました。

 

 

(追記)

本ができました。

 

読んでいただけたら、幸いです。

 

 

kindle

「400 words diaries」

 

【2019年8月7日(水)】

 

74年前の8月6日、広島に、8月9日には、長崎に原爆が落とされた。

 

 

知識もないので、戦争について意見を言うことは憚られるが、改めて思うことは、全てはつながっていると言うこと。

 

何もないところからは、戦争など起きない。

 

それぞれの歴史と思惑が複雑に絡み合って、その結果として起こっている。

 

 

戦争によって多くの犠牲者を生んだ。

 

そして、その代償と言うにはあまりにも不謹慎なのかもしれないが、コンピュータ技術の発展、また、戦艦造りで培った技術が、戦後日本の造船技術につながり、今日、我々はその恩恵を享受している。

 

朝鮮半島の38度線近郊のDMZには、60年間手付かずになった、世界でも稀に見る豊かな自然が生まれた。

 

 

当たり前だが、戦争を肯定するつもりは更々なく、今すぐに命を奪い合う行為はやめるべきだと思う。

 

ただ、我々自身、もっと物事を俯瞰して見なければ、様々なことを見誤る恐れがあるということは、忘れてはならないような気がしている。

(407文字)

 

 

【2019年8月6日(火)】

 

昨日から職場の事務所が移動した。

 

職務スペースは以前よりも狭くなり、個室ではなくなった。

 

動かす作業はめんどくさいとは思うものの、やっぱり引っ越しはいいなと思った。

 

 

別に仕事内容が変わるわけでもないのだが、気持ちが切り替わるというか、新たな気持ちになるのがどこか心地いい。

 

人によっては、狭くなったし、大部屋になったことを残念がっていた人もいたが、僕としては、開放的になったことや、他の部署の人もいることで、いい意味での緊張感につながっていると思うので、すごく良かったと思っている。

 

 

アフリカ大陸で人類が生まれてからこの方、人々は移動を繰り返してきたことを考えれば、拠点を移るというのは、案外我らには馴染むことのような気がしている。

 

そして、言わすもがな、何事にも循環は必要だ。

 

同じところに居れば、それなりに、何かしらは淀んでくる。

 

常に新しい風を入れながら、適正な流れを生んでいくことは、組織において重要なことだろう。

(403文字)