東京都板橋区の公立小学校時間講師という仕事を辞めた。今月末までだ。六月からは、この老骨英語職人は来月からまた仕事を探す。

四月の5週間は、ほんと、悲惨だった。

私立女子校で36年間英語を教えた経験がまったく生かされる瞬間がなかったことも残念だったが、もっと重大なことは、公立小の生徒は、英語教育に限り、まったく世界中から置き去りに去れ、無視され、都内の私立小学校からも江戸時代の現代ほどの懸隔をつけられてしまっていることに、学校の誰も、教育委員会の一人も、気づきもしなければ関心もない、という致命的な過ちに気づいていないことだ。2重の罪。

ひどい。

算数の少人数教育には人も予算もつぎこむのに、国際化、異文化交流、労働移民の子弟との共存から生まれる多くの機会、自分の中だけにかたまってしまう悪弊をのぞいて、新しい日本文化を醸成する方向に意識を向けていくきっかけを作ることも、まったく到底出来ない。

出来ないことに、誰も驚かないし、問題の所在も分かっていない。

十人以上はいる、支援員と呼ばれる人達は、問題児を担当するのに、低学年しかいかない。僕が教えていた5年、6年生には、まったく英語の勉強をしない子供が、クラスに10人はいる。注意しても、それが注意であって、多動性の児童は自分の言動を修正しなければとは思わない。校長にチクれば先生なんてしょぼいものさ、というのがはっきりと見て取れる表情と言動。大声で叱ってみろよ、チクってやるからな、という表情でニヤニヤ。

僕は今月でやめる。やめても、この学校はつづくのだろう。後任の人は来るのだろうか。困難だろうなあ。悪いなあ。ごめんよ。でもこの老骨には、もう精神的なスタミナがないんだよ。耐えられないんだよ。学期が始まったばかりで、闘いを放棄するのは、情けないとは思うが、この老骨には、荷が重すぎたのだ。公立小の低いレベルの子供達がクラスで作る勉強の環境はひどい。半分以上の生徒が、あの異常なクラスのなかでどう感じ、どう成長していけるのか、心配ではあるが、もう僕には力が残っていない。ごめんな。