芸能人女性が、オーナーをしているこじゃれた西洋料理屋で、学生の頃にテニス部だった男子学生がいかに、社会に出てどんな活躍をしているかを知るパーティがあった。おいしそうな料理が次々に出てきた。パスタも美味だった。

今はナパバレーの西の方でワイン醸造をしているところで販売の仕事をしている男性は、池袋の西口にあった新星堂という本屋の跡継ぎで、流浪の末にサンフランシスコに落ち着いて、娘二人を育て上げ、今はかなり羽振りのいい感じだった。

もう一人右隣に座ったのは国際線のパイロットで、学生の頃とあまり変わらず、可愛い表情のままだった。もう26年間も、世界の空を飛んでいるというのに、全然変わっていなかった。

この二人に、僕が公立小の教育の中で、英語の時間講師というのがいかに悲惨な仕事かを愚痴った。机もロッカーも教材入れも何もない。タブレットもないしPCも渡されない。何もないなかで、週12コマ。教壇の方を一回も見ない男の子が4人いるクラスで、前を向きなさいと声を荒げたことも話した。

そして最後に、何でそんな仕事を続けるのですか、と聞かれたとき、思わず口をついて出てきた言葉は、子供が素晴らしく輝いていて、そのそばにいて英語の学習の助言をしたいんだと吐露した。考えもしなかった真実だった。

11歳の子供は、無垢で、純粋で、大人社会の汚濁をSNSで吸収する。ひどい言葉も、挑発や脅迫の言動も、みんな下品なYouTube上で氾濫するスキャンダラスな英語文化を面白がって、身振り手振りで声に出す。

でも、家庭教育のしっかり出来ている子供は、こういう自分をコントロールすべを教わっていない児童の暴虐を苦々しく思っている。彼等は、本当に素晴らしい心性と可能性を秘めている。美しいのだ。魅力的なのだ。

その驚きの教室でのやりとりを僕が一番楽しみにしているから、今の時間講師という身分制階級社会の最下層の仕事を続けているのだ、と、告白してしまっていた。こどもってさあ、すごいよ。

恵比寿駅に向かって帰路についたとき、自分の口から出た、公立小時間講師を続ける真の理由に、自分で微笑みをこらえながら、そうなんだよねえ、そうなんだ、こどもってさあ、いいよね。とつぶやいていたのだ。