19世紀半ばの南北戦争後、民主主義という普遍的と思われた絶対に揺るぎない理念を掲げて,アメリカは,日本をはじめとして、アジア欧州を席巻し、軍事経済政治において20世紀を支配した。

黒人初のオバマ大統領後、トランプというテレビタレントが共和党を支配し、大統領になった。それまでの,誠実で高潔で明るい理想的な人物像とは似ても似つかない、不動産取引事業家のどら息子だった。放蕩を尽くし、下品な言動を繰り返し、脅迫を手段にリンカーンの政党を牛耳ってしまった。

今でも、全有権者の38㌫がこの男を再選させると,調査会社の統計が言う。州と連邦とあわせて30以上の起訴が行われたというのに。

誰がこの男を担ぎ出したのか。

よき人物、とは誰も思っていない。ではなぜか。民主党が掲げる民主主義の理念に,欺瞞と虚偽を感じ取った,中年の白人層だ。

古代ギリシャのアリストテレス以来、永遠の真理という欺瞞を民主主義の本質の中に見いだした人々は、すべての人にとって分け隔てない幸福がもたらされると謳う民主主義の欺瞞に反発する。幸福は人によって違う。灰色は黒という人もあれば白という人もいる。事実と審理の間には橋が架からない。絶対的真理というのは、いくら事実を積み重ねても、決して万人を納得させることは出来ない。正義や幸福というのは,絶対ではない。

考えつづけ、節度と熟慮を持って、互恵の精神で、今、ここでの、幸福を考え続けなければならない。それは哲学という。

アメリカには寛容な熟慮を続ける意思のある勢力が育たなかった。哲学を遠ざける功利主義、利己主義のみが残った。

表面的にもかかわらず、全員を納得させる理念が民主主義だとすれば、哲学を欠くアメリカに,民主主義は育たない。民主主義は,福沢諭吉が喝破したように、プロセスでしかなく、理想に向かっての節度ある熟慮の過程そのものだ。静止した状態ではない。これが基本になければならないのに、今のアメリカには熟慮を続ける意思を持つ人がいない。議論があっという間に闘争に終わってしまい、敗れた人達は,銃ですべてをこわしてやりなおそうとする。それだけだ。

佐伯啓思の文章に触発された。