今日からジムが再開した。

午前中、よし、今日は10年ぶりくらいで、ジムワークを再開するぞ、と自分に言い聞かせた。

プールで歩いたり、泳いだり。それだけでは時間を消費できない.よし、靴、トレーニング用のシャツと、短パン。負荷をかけよう。耐えられる身体を。

ダンベルは片手6キロを、6つのやり方でそれぞれ3回ずつ。マシン上で、歩行時速5キロを10分2回。これを2セット。帰宅後どこも痛くならないように気を遣いながら力を入れずにこなした。

やったぜ。マシンのフロアに降りたのは本当に久しぶりだったが、怪我なくやり遂げた。心臓もバクらなかった。

意気揚々と、ロッカーからいつものプールに向かった。

昨年末、この4月に僕が赴任する小学校校長が、かたどおりの面談が終わる頃、お若いですね、ともらした。確かに今年で74だもんね。

てやんでえ、こちとらなあ、まだ5年は続けるぜ。英語職人だよ。

心を病んだ児童、教室という社会性の習得の場が分からない子供、常識のない父兄達、うつ病と自閉症になっているほとんどの担任達、服務規定を守らせるしか気が回らない管理職達。こういう環境で、古稀過ぎたじいさまが闘うのだから、よわきになってはいられない。何かを学習させようなどとは夢にも思ってはけない。

でも、明日の時間の空白をまだ埋める予定が立たない。

羽田の衝突事故では、管制官も、海上保安部のタダ一人生き残った機長も、着陸する日航機の機長も、誰も、40秒間にわたって、滑走路上に、はみ出してしまった海保機を視認して、衝突回避のためのとっさの交信も操縦も、することを怠った。夜で暗かったとか、まわりの明かりに目がくらんだとか、なんとか言い訳しても、40秒間の間に、滑走路上に海保機がいることを知らなければならないのにこれを怠ったのだ。管制官は、JAL機に進入許可を出しながら、40秒間も、滑走路の安全に一回も視線を送らなかった。海保の機長、日航の正副操縦士も同罪。表面的には、海外のメディアのいうように、奇跡的にJALの全員が助かったとはいえ、義務を果たさずサボったこの4人の罪は重いのではないか。

まいっか。鳥井さんは、能登地震の記事を送ってきた。本当に世の中の苦しみを全部背負っている人なんだよなあこの人は。だからいつも眼がキラキラ。尊敬するよなあ。再来週には会えるかな。