今年で、古希はるかにすぎて、独居老人になって初めての正月。驚かされることがたくさんあることを発見。そうだよねということばかり。

昨年秋からの就職活動がうまくいって、4月からも、小学校英語時間講師、週12コマを続けることになった。今教えているふたつの小学校は、定年退職後初めて仕事をしたところで、懐かしく、切ない。校長命令だ。

2日に長男次男が孫達を連れてきてくれたが、つくってあげられたのは、お雑煮と、ローストビーフだけ。さっちゃんにはお年玉2万と、図書カード2万をあげたけど、余り感謝の言葉も、うれしい表情も出さない。GAPでセールをしていたので、セーターも買ってあげた。余り喜ばない。そういう高校生になってしまったか。カレシが出来て心は全部そっちなのか。まいいや。

マナトが小学校に入るからランドセルを買ってあげたのに、届くのは何と3月に入ってからだって。注文数が決まってから工場稼働か。

東武の写真室に行って、10人で、2ポーズ撮った。アリスより少しだけいいかも。出来映え次第だけど、二人でやっていた。背景も椅子もおざなり。

地下駐車場で、何度も機械に通したけどダメで、写真場に電話したら、なんと駐車券ともう一つの券を持ってきた。CDをサービスで送るので、と謝罪。

昨日3日は、どこにも出かけず、ひたすら、年賀状の返事を書いた。以前に比べて、年賀状全体のの発行数は3分の一になったと言うが、一年に一度しか、紙の写真上でしか会えない卒業生の今が分かってこの上なく楽しい。指が痛いけど。子育てが終わって、仕事に邁進している卒業生が半分以上。すごい。孫が出来た卒業生も10人以上。

今年はモンブランは出さず、ボールペンで返事を書いた。もう、いまや少しずつ世界がこの老骨から遠ざかっている。目の前のするべきと思うことの種類や質量が激減している。手順を面倒だと思う。散歩もキャノンデールもまったくその気が起きない。独居による精神異変と関係あるのか。

でも、4月からの日中の真空が仕事で埋められて、労音もフロイデもやっているだろうから、孤独の寂寥感に責め立てられるのは免れているかも。

YouTubeだけでは埋め切れない大きなこころの空洞も、それを抱えることになれていきさえすれば、深刻な打撃にはなるまい。孤独から自死してしまった卒業生が偲ばれる。あの子の表情は16歳の時も、寂寥感をにじませていたのが今になって分かる。彼女も、僕と同じ、家族もなし、親しい人も無し、の日常だったのだろう。通訳の仕事と演劇の気晴らしが失われたあと、彼女が毎日SNSにコンビニ弁当の写真をあげて、コメントに、これが今日のごちそう、と書いていたときの心の中が、僕にも見えてくるようで恐ろしい。

高校生になった初孫に、早世した我が恋女房殿の写真を飾って見せた。にているよね、といったら、うん、だって。それだけかよ。まいっか。