口がきけないし、知能も低いから、小学生にすれば、友達にはなりにくい。全部こっちで気を回さなければならないから、やっかいなのだ。
だから、休憩時間になっても、誰も遊び相手にはなってくれない。しかたないから、校庭に出なさいのかけ声とともに,グランドには出るけど、一人で、うつむいて、じっと、砂を手に取ってはこぼし、また砂を拾い上げる、此を時間まで続ける。僕はじっとそれを隠れてみていた。
教室に残って、一人で何かをするということもなく、校庭に出てきたけど、かといって、何もすることはないし、友達がいるわけではない。仕方ないのだ。知能が遅れた口がきけない障害者は、こうなるのだ。
一体、午前中の授業では、わがレイはどうしているのだろうか。僕は夢中で、上階で授業をしている。その下では、わが最愛の孫娘が、全く分からない言葉の氾濫の中で、じっと、ガマンしながら、耐え忍んでいる。
廊下で、数人の生徒がすわりこんで、二人の先生も、座り込んで、何か話をしている。先生達は、生徒達に何かを指導しているのだろう。
窓から、他の先生がのぞき込んで、何やら観察している。あとで聞いたら、特殊な生徒がいて、その生徒がしっかりやっているかを見ていたのだという。公立は、こうしたことが、大切なのだ。躾をする、分からない生徒は指導する、問題のある生徒は、特別支援の先生達が、終日みている。
そう、だから、英語を、気ままに教えていられるのは、幸運なのだ。しかも、相当に出来る生徒がたくさんいる。
でも時間が足りない。すぐに終わってしまう。無駄なしゃべりをなくしたつもりでも、すぐに終わってしまう。
私立の小学校に入れると、豪州人のALTは言う。当然だ。東京の公立小中の事情が分かれば、親の選択は、私立小中になるはずだ。
でも帰り、送迎の仕事ボランティアのひとから、わが亡父のことを聞かれた。お世話になりましたと言われて、口ごもってしまった。親孝行など、クスにも出来ないほど、ほとんどしなかった僕だから。
明日は、マークが、3時間やってくれることになっている。右足首の激痛が治らないから、たすかるなあ。
玉江さんのバラが咲いた。何もしないのに、気づくと咲いていてくれる。居間と、食卓に飾った。
