もう25年前のこと。恋女房殿は、クモ幕下で、あっという間に帰天した。呆然と、子育て中なのも忘れて、男の子3人に満足な家庭も味あわせてあげられることなく、呆然としたまま過ごし去っていた。

その恋女房殿が、夢に出てきた。僕を全く無視して、友達と遊んでいる。かっかした僕は、彼女の胸を、人差し指で強くつつきながら、なにかを叫んでいる。なじっている。

ええええ。なんで?彼女の発症は、僕が引き起こしたのではないかと、いつも、自責の念にさいなまれる。結婚後、20年くらいして、僕はすっかり、甘えん坊になりきってしまい、すべてを彼女に委ねて、仕事や遊びに熱中していた。

彼女の素晴らしさなどには、全く盲目で、全くその真価に気づくこともなく、彼女の心の美しさに気づくことが出来ずに、傲慢そのものの日々だった。当然、男の子3人は、気づいていただろう。亭主、夫、旦那、としての僕が、いかに、驕慢かに。

次男は、精神のバランスを崩していたのに、カウンセラーにいくとか、病院に行くとかの考えも、浮かばず、治療もしてあげられなかった。彼女は、静かに、見守りながら、僕のわがままに付き合っていたのだ。その精神的な苦しさが、彼女を追い詰めたと思っている。だから、いつも、彼女の墓に詣でるときは、住まなかったなあ、と言い訳をする。

屋久島から出てきて、美大受験もあきらめて、僕と結婚してしまった彼女は、20年間の間に、どれだけ苦しんでいたのか。

その彼女の、胸を指先で突き刺すように、小突いている僕が、今日ここにいるのだ。どうしようもなく、僕は、混乱している。そう。混乱している。

ざわざわと、みだれる。どうしよう。心の平安を、また薬で取り戻すか。レスタスを、飲んで、20年くらい過ごした。あの日々に戻りたくはないが、また、平安な日々が失われている。胃痛も、なおらない。不眠も、去っていかない。

うううううん。

まいっか。

授業の予習をしても、教科書のあらさがしばかりしている自分に気づく。それにしても、ヒドい編集だなあ。まいっか。

寂聴の文章に促されて、南側の隣家の、今は、主を失って、土地を買った業者が、地ならしした土地が広がっているが、その、一番北側が、つまり僕のところがある、その塀際に、紅梅の木に目をやった。塀の上から、1メートルくらい、枝が見える。

卒業生が、見事な、写真をFBにのせているが、隣家の梅の木は、まだ、つぼみがかたい。でも、今日も、東京らしい冬の寒さと青空が広がる。

この景色のような気分になれる日が来るのだろうか。この景色に癒やされてばかりで、どうも、体調、ひどいなあ。