「親切と愛って、本来は同じ意味です。心からの親切は、愛と同じなの。
それと愛の場合、ベースに「手伝ってあげたら相手が喜ぶかな?」「こんなふうに言ったら嫌な気持ちにならないかな?」っていう、受け取る側に寄り添う気持ちがあるものなんです。
だから、相手がどう受け取るか考えながら行動するし、もし相手にちょっとでも不快感を与えてしまったと感じたら、すぐに謝って行動を改めるんだよね。
愛を出すって、そんなに力んだ親切は必要ないんです。
ささやかな親切だからって愛が小さいわけじゃないし、サラッと軽やかな親切でも愛は十分に伝わるんだよね。
そもそも、大げさな親切をしなきゃいけない場面なんて、ふだんの生活シーンではそうそうあるものじゃない。
時々、なんでも相手の言うとおりにするのが愛だと思ってる人がいるんだよね。
でもたいていは、人の言いなりになってばかりだとうまくいかないと思います。
相手に合わせようと思うと、やっぱり自分に我慢させることが多くなるから苦しくなるんです。
いつもあなたが合わせていると、相手もそれが当然の感覚になっちゃって、要求がエスカレートしてくることもあるだろうしね。
結局、滅私奉公みたいな愛は長続きしないんだよ。いずれ問題が起きて、さらにしんどい思いをすることになるの。
ただ、そういう経験をすることも学びだからね。
痛い目にあいながら、少しずつほんとうの愛に気がつくの。苦労することで、間違っていることに気づく。
これじゃダメなんだな、うまくいかないときはやり方を変えなきゃいけないんだなっていうのは、自分で経験しながら気づくしかないんです。
自分が嫌なことは、我が子だろうが誰だろうが押しつけちゃいけないよ。愛とは、自分がされてうれしいことであり、相手も笑顔になるものです。
生きていると、どうしてもウマの合わない人は出てくるものです。苦手な人、なぜか会いたくない人……そういう付き合いたくない相手への対処法としては、とにかく「離れる」ことがいちばんなの。
たとえそれが家族や親類だったとしても、嫌な相手とは親しくしなくていい。
たとえばあなたが、家族や大切に思っている相手からお金を貸してほしいと言われたとする。
こういうとき、たいてい「大切な人の頼みを断るのは愛じゃないよね?」「こういうときに無条件でお金を貸してあげるのが愛だよね?」って自問自答が始まるの。
それで貸してあげようと思うと、今度は「虎の子の預金をはたけば、いずれ自分が困るし……」みたいな感じで、堂々巡りになっちゃうんだよね。
あのね、堂々巡りになるのは、どちらも真実だからなの。困っている人を助けるのは愛だけど、自分を守ることだって愛だからね。
だとしたら、あなたのほんとうの気持ちを見るしかないんだよ。
で、貸してあげられないと思うんだったら、「余裕がなくてごめんね」って断るしかないんです。
こういう大事な決断は、自分の気持ち以外のことで判断してはいけないんだよ。」
斎藤一人「私は私」から抜粋して引用
人生 じんせい ジンセイ
「つらいけど断らないと自分が困る」
そんなもん多々おますがな
特に家族の場合は尚更です
しかしでんがな ところがどっこい
痛い目にあった経験から学んで
「やっぱりそれは違うでしょ」
そう思えると どうなるかって
「後腐れない小さな親切を継続するのが本物」
自分の経験談でもあります(笑)
ということで
よろしゅうに