ビートたけしが亡びるとき | Carlos Danger Is Here

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ヘイナーウ!

何年か前、不思議に思ったことがあった。


当時、ビートたけしの映画は世界的な評価を受けていた。しかし、たけしはアホなバラエティー番組のレギュラーを何本もテレビで持っていた。


なんで、たけしは日本での愚にもならない仕事をやめて、ハリウッドに進出して映画を作って、世界の観客を相手に勝負しないのか?


今なら、この疑問の答えがわかる。アメリカで英語の映画を作ったって、売れるかどうかはわからない。日本にいれば、エンタメ業界の帝王で、金がガッポガッポ儲かる。日本の市場は、まだまだおいしい。


「日本語が亡びるとき」が鳴らしている警告の一つに、才能のある書き手は、この先日本語で文章を書かなくなる、というのがある。英語の文章を読む読者数が絶対的に多くなるので、日本語で書くのなんかアホらしくなる、ということで。


でも、これは俺には正しいとは思えない。潜在的な読者数が多いとからと言って、人が自分の書いたものを読んでくれるとは限らない。


アメリカとか英国の文芸界で、専門的な評価を得ていて、かつ読者に人気がある作家が何人いるか?


ハッキリ言って、誰も思いつかん。


今の世の中、映画おもしろいしテレビドラマおもしろいし、小説なんかをマジメに読んでいるヒマ、フツーない。フォークナーやアップダイクやジェーン・オースティンやディケンズやらが生まれる時代では、もうない。


だから、英語圏の作家のほうが日本の書き手よりも恵まれているというのは、現在時点において正しいとは思えない。


将来的には、どーか?


日本が国力を維持して、娯楽に使う金額を減らさなければ、それをゲットして生計を立てようとする芸人や作家がいなくなることはないと思う。


日本語が滅びるときとは、日本経済がダメになって、ビートたけしとかが日本を見捨てるときなのでは。