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愛と光と忍耐を求めて

プルーストの「失われた時を求めて」を真似てるわけではありませんが、悠久の時の流れの中での一瞬の人生。しかし、それを知っている魂には永遠の命があるのかも知れません。テーマは「修業の場としての魂の人生」

10月7日(土)18時〜20時に

第32回Zoom句会が開催されました。

 

始まる前の雑談で、

北川さんから、

3週間前にコロナ感染したとのこと。

 

それを聞いた早田さんから、

私の周りにもコロナ感染者が多そうとの

話がありました。

 

インフルエンザが流行しているようですが、

コロナの感染者も増えているようですから

感染防止に注意しなければなりません。

 

小生の詠んだ7句の内、

選が入ったのは以下の4句でした。

 

萩の花格子戸の下掃き清め    如空

 早田/

 掃き清めるのは、「萩を見せる」ため、

 それとも「散った」から。

 

彼岸会の法話聞き入る檀家衆   如空

 中山/

 通常、「彼岸」だけだと春の彼岸を言うので

「秋彼岸」としたい。

 

叢雲に掠め取られし良夜かな   如空

 矢作/早田

 邪魔なものの喩えに「月に叢雲、花に風」(源氏物語)。 

「掠め取られし」に工夫がある。

 

朔日に柏手を打つ神無月      如空

 早田/

 旧暦十月の異称「神無月」は冬季である。 

「神無月」と「柏手」ではやや当り前の取り合わせ。

 

「萩の花」の句は、実景です。

四国の実家に帰省していた時、

自転車で通り過ぎた家の格子戸の上に

萩の花が咲いていました。

道路からの入り口は綺麗に掃き清められて

いました。

 

「彼岸会の」の句も、実家での一句です。

お彼岸での先祖供養の時を読んだ句ですが、

「秋彼岸」にすべきだったと反省しています。

また「法話」「檀家衆」と続くのはくどい

との評価もいただき納得した次第です。

「檀家衆」の代わりに「寺の猫」はどうか、

とのご意見もいただきました。(笑)

さて、どうでしょうか?

 

「叢雲に」の句は仲秋の名月の一句です。

夕方、東の空に名月が上がってきましたが、

自宅から見る空は、生憎の曇り空、

それでも、雲の流れのお陰で、

時々、仲秋の名月を愛でることができました。

「掠め取られし」という措辞は、

満月が全く見えなくなる様ではないか、

との句評を頂いたので、掠め取られて、

見えなくなったり、また見えてきたりの景

と説明させていただいた次第です。

この句の、眼目の措辞ですが、

表現として適切かどうか

要検討かもしれません。

 

「朔日に」の句は、毎月1日と15日は

氏神様に参拝する人が多い日である、

という意味の句ですが、分かりにくいかな?

神無月を持ってきたのは、やや諧謔を狙った

季語でしたが、冬の季語になったのは迂闊でした。

よく、調べる必要がありますね。

 

先月、軽井沢にいらっしゃる北川さんから、

秋になったらランチ句会をしたいですね、

とのご提案がありましたが、

実行しなくて良かったですね。(笑)

コロナ感染するかも知れませんでした?

 

句座遠しコロナの消えぬ街の秋   如空