昨日からチビは泊まりの面会交流です。

毎年、春休みと夏休みと冬休みには泊付きの面会交流をせよ!と勝手に裁判所に決められてしまった恒例行事。

当初は私もチビも猛反発で即時抗告をして民事で言うところの上告審に持ち込んだものの、けんもほろろに打ちのめされた苦い思い出があります。

 

父子家庭に至った経緯 22「抗告」

 

私にとっての元妻はわが子よりも自分の欲求を優先する酷い母親でしたが、裁判所の見解は、例えそんな親であっても子どもにとって母親とのコミュニケーションは必要不可欠なのだ、というものでした。

あれからもう3年くらいが経ったかな。

さすがにもうチビを含む当事者たちは皆それなりに、この行事に慣れてきたところです。

そして更に言うと、このところの私は、なんと裁判所の考えが理解できるようにもなってきたのです。

ああ、やっぱり子どもの心にとって両親を感じられることって大事だなと。

それはチビを見ていて、いろんな時に感じるのです。

 

 

さて、チビの面会交流。

昨日は珍しくチビが「ディズニーランドに行きたい!」と言い、今日は妖怪ウォッチの映画を観てると思われます。

 

で、その間の私の過ごし方ですが…。

いつもこのチャンスに友だちと飲みに行こうかなとか考えるのですが、結局それも億劫になりひとりで家でのんびりしちゃうことが多いのです。

昨日はその典型。

なんと、寅さんの映画を5本も観てしまった。

寅さんの映画って子どもの頃は観たことがなくて、私が初めて観たのは確か20代半ばかな。

その頃は寅さんのキャラクターが面白いなって思うくらい。

植木等さんの無責任シリーズと同じような感覚だったかな。

けどそれが30代40代になると、山田洋次監督が描く「人情」ってものに熱く心を動かされるようになりまして。

そしてついに50代の今、なんと寅さんの気持ちが痛いほどよくわかるようになりました。

あのフーテンの寅さんの切ない恋愛観。

「俺のような男と一緒になったら、彼女は幸せになんかなれない。心から大切に思う彼女だからこそ幸せになってほしい」

彼女の想いが自分に近づいたと感じた瞬間、そんな究極の忖度を発動して、寅さんはまた旅に出る。

第9作の「柴又旅情」では、いつものように失恋し心を痛めた寅さんが、旅立つ前に江戸川の土手で妹のさくらとこんな会話をします。

さくらに「じゃあ、どうして旅に出ちゃうの」と聞かれた寅さん、広い青空に浮かぶ雲を指差し「ほら見な、あんな雲になりてえんだよ」と。

 

 

はぁ…。

私は寅さんのように多くの人から慕われるような心を持った人間でもなければなんの取り柄もないけど、あの気持ち、痛いほどわかるなー。

 

 

あ、話しが寅さん方面に行き過ぎました。

面会交流でチビがいない夜は、1年のうちの僅か3日です。

それでもめちゃくちゃ寂しく思うし、部屋に残るチビの痕跡を愛しく思う私の心はすっかり母性化してしまったような。

 

でもね、私は思うのです。

この365分の3は裁判所が勝手に決めたルールであって、いつまでこれに従うべきなのか。

そろそろチビが自分でその数字を決められるようにしてあげてもいいのかなと。

チビがもっと成長しちゃうと「ママとお泊りなんて恥ずかしい」と思うようになっちゃうかもしれないから、そうなる前に母子で旅行に行ったり、元妻の実家に帰省したりってことも選択できるようにしてあげようかなとね。

もちろんチビが望めばの話しだけど。

来年チビはもう6年生。

そんな提案もしてみようかと思ってます。