私の今の生活環境をつかみ取るためには、本当に多くの方の支援が不可欠でした。

 

中でも、チビを連れて家出をし彷徨っていた私を自宅に呼び入れてくれた姉には感謝してもしきれません。

そして私とチビを家族のように受け入れてくれた姉家族。

また姉家族には大変世話になっただけでなく、「このような強力な監護協力者がいます」と裁判所に強く主張できたことは、私がチビの監護者になれた大きな要因のひとつであったと思います。

 

そして何よりも私のような個人の離婚問題に3年半もお付き合いいただいた押田弁護士。そして花井弁護士。

私の代理人が彼らで無かったら、おそらくまったく違った結果になっていたことだろうと思います。

それは当然悪い方の結果ですね。

彼らにも心から感謝です。

 

もうひとりは東京家庭裁判所のK調査官。

一切偏ることもなくいつでも公正な目で当案件にあたってくれた、本当に素晴らしい調査官でした。

今後の家裁が「フレンドリーペアレントルール」採用の方向へ向かうとするなら、彼女のような立派な調査官がより活躍してくれるのではないかと考えます。

 

 

さて本題です。

そんな具体的に力添えいただいた皆さんとは別に、もうひとり、この人がいなかったら今の私の生活は無かっただろうなと思える人がいるのです。

 

その方は以前の職場で何度か一緒に仕事をさせてもらった、ミュージシャンのTさん。

時は8年前に遡ります。

Tさんは私よりも年上でしたが、いつも気さくに話しかけてくれる優しい方で、当時1歳になるかならないかのチビのこともよく気にかけていただいたものでした。

そんなある日、出張で大阪に向かう新幹線で席が隣になった時にいろんな話しをしました。

その中でTさんは私に、忠告というのかな、ある助言をしてくれたのですよ。

 

それは…。

 

「僕はね、娘がかわいい盛りの時、とにかくコンサートツアーが忙しくて、なかなか会えなかったんですよ。

東京に帰るたびに娘は成長しちゃってね。

気が付いたらすぐに大きくなっちゃって、僕はほどんど娘を抱っこしてあげられなかった。

それが悔やまれて仕方なんですよ。

だからけいさん、お子さんを抱っこできる時にたくさん抱っこしてあげてくださいね」

という話しでした。

 

Tさんは大変著名なロックバンドのギタリストであったため、そんな苦労があったようです。

私にとってはまだあまり実感のない話しであったけど、せっかくTさんがそんなふうに言ってくれたのだから「そうしよう」と心に留めていました。

それ以降、気づけば私はことあるごとにチビを抱っこしてましたね。

当時は私も出張が多かったし本当に仕事はハードでしたが、出かける時はとにかく抱っこ!

するとチビもだんだんと「パパ抱っこ!」と言うことが増えるようになる。

「ママ抱っこ!」じゃなくてね。

よく家族3人で出かけた時の帰りなど、私がチビを抱っこし、妻は買い物の荷物を積んだベビーカーを押して歩くことが多かった。

いつしか私は、どんなに疲れていても、体調が悪くても、めっちゃ腰痛の時でも、「パパ抱っこ!」のリクエストには絶対に応えるようになってました。

「この子はいずれ抱っこの要求などしなくなる。だから要求がある間は応えてやろうじゃないか!」という思いでしたね。

 

実はチビ、9歳になった今でも隠れ「抱っこマン」なんですよ。

さすがに外では言わなくなりましたが、家の中ではよく「パパ抱っこ〜!」と言って飛びついてくることがあります。

27Kg、ある意味恐怖ですが…。

 

 

でもね、この長年のスキンシップが「この子を自分で守らなきゃ!」と私を突き動かしたように思えるのです。

そして父子家庭をやっていく自信にも繋がった。

また、チビが私に抱く「安心感」もここに起因するんじゃないかな、と。

 

 

ですから、あの8年前のTさんのことばが無かったら、チビとのここまでの関係は築けてなかったはずですね。

結果、どうなっていたことか…。

 

 

過去を振り返り、人の優しさに触れ感謝の思いを深める。

 

この人生、満更でもない。