チビを車に乗せ、私が向かった先は箱根。
箱根には父が勤めていた大学の保養施設があり、子供のころは毎年家族で訪れていた思い出深い土地だ。
余談だが、私はあの登山電車とケーブルカーが好きで好きで、異常に愛していた子供だった。
しかし今回は登山電車よりもケーブルカーよりも、私が選んだのは「ユネッサン」という温水プールの施設。
プールが大好きなチビだが、それまで温水プールに連れて行ったことはなく、「今日はね、これからあったかいお風呂みたいなプールに行くよ!」と言ったらチビの目はキラッキラに輝いた。
とにかくチビの不安を少しでも軽減するため、とことん楽しませてやろうという考えである。
ユネッサンは主に屋内の施設だが、屋外にはウォータースライダーがあった。
真冬の箱根の外の寒さったらハンパ無い。しかも小雨。尚且つ水着。
私は父親のたくましさと勇敢さをチビに見せつけるため、そのウォータースライダーに向かった。
滑ってみたら、思いの外すごい傾斜とすっごい加速。
私は恐怖におののいた。
そして次の瞬間、「ばっしゃーーーん!」
ものすごい勢いで水中に消えた私。
鼻の穴に大量の水が入り、死にそうに痛かった。
極寒の中、水着姿で「痛い、痛い!」とギャーギャーわめくヘタレ父。
それをずっと近くで見ていたチビはもう可笑しくて可笑しくて、これまた死にそうに笑い転げていた。
私はとにかくチビを楽しませるのに必死だった。
もちろんチビの笑顔は私にとっての最高の栄養でもある。
夕方まで目一杯プールで遊び、その日は隣接するホテル小涌園に泊まることにした。
この写真はプールからホテルに向かう時に撮ったもの。
楽しかったプールを思い出し笑っているのか、それとも不安な思いを必死で堪えようとしているのか…。
チビのこんな複雑な表情は後にも先にも見たことがありません。
この写真を見ると、今も胸がえぐられる思いです。
(家出からちょうど1年後のブログで同じようなことを書いていました)
ホテルにチェックインして部屋に入る。
チビはホテルも大好きなのだ。
ツインのベッドを行ったり来たりジャンプせずにはいられない性分で、狂ったように飛んでいる。
私は夕食のレストランのあたりをつけ、チビに話しかけた。
「これからしばらくの間、おうちには帰らないでパパと二人で過ごすことになるよ。寂しいかもしれないけど我慢してね」
チビは頷きもせず、黙っていた。
食事のあとは二人で大浴場に行き、そこでまたキャッキャと騒いだ。
何と言っても12月の観光地はガラガラ。
お風呂も貸切状態だったため、でっかいお風呂を思う存分楽しんだ。
これだけ遊んで体を疲れさせたのだからコロッと寝てくれたらなぁと期待しつつ、二人でベッドに入り明かりを消した。
気づけばチビは何も言わずシクシクと泣いている。
本当は私に言いたいことや聞きたいことがいっぱいあっただろうに…。
自然と私の目からもボロボロと涙が溢れ出した。
チビに気づかれないよう息を殺し、チビの頭を撫でながら私も泣く。
チビは20分ほど泣き続けたあと、すーっと眠りについた。
こうして私の家出初日は終わり、チビと2人の長い物語が始まった。
チビには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そしてその思いは妻に対しても同じだったのかもしれない。
私はこの日の午後には妻にメールを入れていた。
「あなたがやろうとしていたことは、こういうことです」みたいなことを書いたと思う。
一応早めに教えてあげなきゃ気の毒な気がしたのだ。
そのメールで、止むに止まれぬ思いでこの行動に至った旨を伝えたと思うが、反面、さすがに妻が可哀想にも感じていた。
あんな母親でも息子への愛がなかったわけでは無い。突然チビを失ったとわかった時、妻はどんな思いをしたのだろう…。それを思うといたたまれなかった。
一切の経緯を無視すれば、私のやったことは「連れ去り」そのものである。
自分であれだけ嫌がり恐れていた「連れ去り」。
あの当時の私の理想はこうだった。
妻と司法の場で徹底的に戦かった末、公平な司法の判断のもと「親権は父親に」という結論が出た上で、チビとの二人暮らしを始めたかった。
しかしそれはいろんな意味で不可能だったし、今にして思えば、それは単なる責任逃れの戯言だったのかもしれない。
これが現実なのだ。
次回、父子家庭に至った経緯 12「私は誘拐犯?」 へつづく。