父子家庭に至った経緯 7 「不倫相手の正体」

 

 

狂信的にホメオパシーに傾倒しきった妻は、当然のことながら西洋医学を否定し始めた。

つまりチビが体調を崩しても病院に連れて行くことをしない、完璧な「医療ネグレクト」の完成だ。

カゼなどのちょっとした病気ならまだいいが、インフルエンザやはしかに罹りチビが高熱で苦しんでいても妻の方針は決して変わらない。

当然夫婦間で激しいバトルが展開される。

私が説得に説得を重ね、ようやく「医者に診せるだけならいいよ」と妻が言う。

「でも、薬だけは絶対に飲ませないで!」と泣きわめくのであった。

それはもう、医者が処方する薬なんかを飲んだら、チビが死んでしまう!!ぐらいの勢いなのだ。

 

 

ホメオパシーとはそれほど強い一種のマインドコントロールを有する商法のようだ。

 大変危険な組織である。

 

 

そんな妻が私に離婚を懇願し、ホメオパシーのカタジリくんと結婚してチビと3人で暮らしたいと言ってきたわけだ。

これ、将来もしチビが重い病気にでも罹ったら、確実にチビを死に追いやる二人ですよ。

それを容認できる父親っていますかね?

 

 

妻からの離婚の申し出があった数日後、私たちはあらためて話し合いの時間を持った。

今度は私があれやこれやの質問をした。

カタジリくんのことを聞いてみると、妻は少し嬉しそうに饒舌に語り出した。

「カタジリくん、今は女の人と一緒に住んでるんだけど、たまたま最近その人とのルームシェアを解消しようって話しになったそうで、それで私と一緒に住むことになったの」

「あっ、その女の人は元カノだけど、今は何の関係も無いんだって。でもそれぞれが一人でマンション借りると家賃が割高になって大変でしょ?だから別れた後も一緒に住んでるんだって!」

 

どうですか、妻のこのお花畑っぷり!

見事でしょ?

さすが日付変更線を信じるだけの才能の持ち主!

 

これは後に発覚した事実ですが、この時すでにこの元カノ、私の妻、その他に彼女が二人いたらしい。

 

カタジリくん、ちょっと自分のタイプの患者が診療所に相談に来ちゃうと、手を出さずにはいられないんだろうな。

歳はたぶんもうそろそろ50歳くらいになるんだろうけど、ありゃきっと病気の一種なんだと思う。レメディ飲めばいいのにね。

 

 

そうそう、この二人がどこで不貞行為に及んでいたかと言えば、主にカタジリくんの診療所。

ホメオパシーって、こういった夜間診療も盛んらしい。

 

 

さて話しは変わり、私の代理人の押田先生がカタジリくんとお花畑ちゃんを呼び出して交渉にあたったわけですが…。

 

二人の見解はこうです。

1.解決金として500万を支払う。しかしカタジリくんの年収が200万にも満たないので、年100万の5年払いで。

2.夫婦の離婚について、財産分与等一切の請求をしない。

3.だがチビだけは絶対に自分たちが育てる。

 

カタジリくん、1番についてはわざわざ確定申告の書類まで持参して、自分の所得額を押田先生に見せたらしい。

こいつ、本物のアホかもしれない。

年収200万以下で、その中から毎年私に100万払う。で、元カノとシェアしていたマンションも借りたまま、新たにお花畑ちゃんとのスイートホームも借り、更にお花畑ちゃんとのデートやお小遣いまで面倒を見て、且つ自分の生活費を残りの収入で捻出できるわけが無いのは明らか。

つまり私は税務署に過少申告してます、脱税してますと言ってるのと同じことだ。

所得税法違反の犯罪者。

 

この交渉、いくつかの切り口で何度か臨んでみたものの、一向に進展はしなかった。

当然ながら争点はお金の話しではなく「親権」ですからね、そう簡単には動きません。

 

そんな状況の中、私は押田先生に「次回は、カタジリくん一人を呼んで、なぜそこまで親権に拘る必要があるのかという点と、チビへの思い・考えをじっくり聞いてみてもらえませんか?」と進言し、それはすぐに行われた。

 

その席上、カタジリくん曰く。

「チビはかわいい。たまに自分のことを間違えて『パパ!』と呼んだりする。それが愛しく思える」

「私は敢えてけいさんちの近くにマンションを借りて、そこで3人で住む予定なので、けいさんがチビくんに会いたい時はいつでも会わせてあげますよ」

などと発言したらしい。

 

私にとって命よりも大切なチビを、赤の他人が勝手に盗んだつもりになって、

「会いたい時はいつでも会わせてやる」だと。

もうね、それを聞いた時の私、発狂寸前でした。

 

 

そして、そしてね。

なぜそこまであなたが親権に拘るのかを押田先生に聞かれると、なんと、

 

「それはお花畑ちゃんがどうしてもって言うから!」

 

と恥ずかしそうに答えたそうだ。

 

 

殺。

 

 

残念ながら、直接交渉はまともな話し合いが何ひとつできないまま決裂してしまった。

しかしそれは私にとって、何が何でも絶対に負けることのできない戦いの幕開けとなったのだ。

 

 

次回、父子家庭に至った経緯 9 「舞台は調停へ」へつづく。