高村智恵子 生誕祭 | 平成の仙臺四郎のブログ

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きのうまでは…県立「霞ヶ城公園」にある二本松少年隊士の話しをしたが…
少し足を伸ばして…女性洋画家であり紙絵作家として…また  彫刻家で詩人の高村光太郎の妻としても知られる高村智恵子さんの生家を訪ねた

生家を中心にして「高村智恵子生誕祭」が行われているので
10年ぶり位に訪ねてみた

智恵子さんの生家は…「花霞」という銘柄のお酒を作る造酒屋で  使用人もたくさん使っていた資産家

1886(明治19)年5/20━━
父・長沼今朝吉と母・せんの2男6女の長女として生まれた
本名は長沼ちゑ

おじさん頭が悪いので…入館料を払った時にもらった小冊子から 智恵子さんの生涯を振り返ってみたい

1901(明治34)4月 ━)
「油井小学校」高等科を卒業するとすぐそのまま「福島高等女学校」3年に編入

1903(明治36)年4月 ━・
卒業して「日本女子大学校」普通予科に入学
この在学中に油絵の魅力に惹かれる

卒業後は…当時としてはかなり珍しい女性洋画家としての道を歩み 雑誌「青鞜」の表紙絵を手掛けるなど若き女性洋画家として注目されてきた

1911(明治44)年12月━━
その年の瀬入学…知人の紹介で 初めて光太郎のアトリエを訪ねることになった
その後は何度か逢うようになり お互いを意識始めた

1913(大正2)9月 ━━
光太郎が上高地に行った時も…
智恵子さんは追いかけて 上高地で一緒に絵を描きながら結婚の意思を固めたという

それからは…駒込の光太郎のアトリエで 窮乏ながらも充実した生活を送っていたとか

1918(大正7)年5月 ━━
智恵子さんを支え続けてきた父・今朝吉の死去

父の死は…智恵子さんだけでなく長沼家に暗い影を落とした

父の死後  長沼家は破産し 一家離散になり 智恵子さん自身も制作意欲の閉塞などから
これまで抱えていた病気の肋膜炎が悪化し
総合失調症の症状も現れ始めたという

1932(昭和7) 年  大量の睡眠薬「アダリン」を飲んで自殺未遂を起こす

1935(昭和10)年2月 ━━
南品川「ゼームス坂病院」に入院

1937(昭和12)年
この頃は病室で紙絵を製作をするほど回復の兆しが見られたが…

1938(昭和13)年10/5 ━━
高村智恵子 死去
死因は長年患っていた粟粒性肺結核  享年53


病室に紙絵 千数百点を残したままで…
大好きなふるさとの空に還ってしまった ━━

こちらは…智恵子さんが実際に使っていた居室
きょうまで特別公開されていた

これは…智恵子さんが使っていたはた織り機
大正時代に病気療養で一年に3〜4ヶ月はふるさとで過ごしていたとかで
その時に  はた織りを習い 大工さんに作ってもらい 東京に送ってもらったものだとか

横糸には…不要になった帳簿や通帳・手紙などを捩ったのを縒り糸として使っていたこともあるとか

こちらは…智恵子さんが少女時代に使っていた琴

昭和4年に破産した時に人手に渡ったが その先で大切に保存されていたとかで
裏側には…“長沼ちゑ用” と書かれているとか

居室の特別公開は終わっても…
安達地方の伝統工芸品である上川崎の手漉き和紙を使って切り絵体験なとが行われる  材料費は入館料込みなのでかなりお得かもしれない
また…今週末には智恵子クイズも行われ 正解するとステキな景品がもらえる

他にも…道の駅「安達」(上下線)やろ「安達ヶ原ふるさと村」では…智恵子さんの食を体験できるとか

裏手にある「智恵子記念館」では…実物の紙絵や切り絵が展示されている(〜今月29日まで)

この機会に“ほんとうの智恵子の世界” を見に行ってみては ━━?