今年の2月にお亡くなりになった友人のお宅へお焼香にいってきました。
親しくお付き合いしていた仲間の一人が関西に引っ越されているので、彼女が上京した時、お焼香に行こう、と話していたのが、やっと実現したのです。
あの日から約3か月半。
明るく陽の入るリビングのソファのそばが彼女の「席」でした。
とてもすてきな笑顔の写真となって。
わたしはてっきり、隣の和室に仏壇が設えられてそちらにおいでになってるのかなあ、と思ってましたから、おもわず、「いいねえ、ご主人と一緒にいられて」と語りかけていました。
初めの頃はみんな涙ぐんでいたが、庭はバラの花々やアガパンサスや花盛りで、ご主人は死んだときは何もない庭だったのですが、突然、こんな花盛りになったのです!と。
ご主人は友達が生きているときは、こんなに庭が花いっぱいになるとはしらなかったのだとか。
いろんな楽しかった思い出話をして。
納骨の日のご主人のお話は心に沁みた。
ご先祖のお墓が大阪にあるのだが、そちらに納骨された。
そのとき、ご主人は号泣してしまったのだそうだ。
あんな暗い狭いところに、しかも妻にとっては他人しかいないお墓にいれるなんて、かわいそうでならなかったのだそう。
子どもたちに、おとうさん、このお骨にはもうお母さんはいないのよ、と慰められたんだけどね・・・と。
そしたら、やはり奥さんをなくした友人が二年たってもまだ納骨してないっていうんですよ。
私は、しきたりだからと思っていたのですが、ほんとに残念です、と。
その話は私も強烈で夫に教えました。
納骨したくなかったら、しなくていい選択があるからね、と。
でも彼は聞く耳をもたなかった。自分が早く死ぬ、と固く信じている・・・。
まあ、私もそう願ってはいるが、こればかりはなんとも。
そして、私は納骨どうする・・・?
いつまでもそばに置いておいたら、なんか落ち着かないような気もするんだわ・・・。
仲代達也氏も奥さんの妻の宮崎恭子のお骨をずっとそばにおいていたが、今はどうしたのだろう。