昨日は近隣の能楽愛好会との合同の発表会でした。

1月と3月も他の会との合同発表会があり、私は仕舞を舞ったのだが、今回は「百萬」という謡のシテ(主役)でした。

ゼーゼー(稽古が大変で喘いでいる)

 

昨日謡った「百萬」という謡はいなくなった子供を探し回る母親の役。

謡曲にはさらわれたりした子供を探し回る母親がよく登場する。

一番有名なのは「隅田川」かもしれない。

隅田川は母が探し当てた時にはこどもは死んでいた、という悲劇だが、ほかの曲は私の知る限り、無事母子の再会が叶う。

・・・昔は人さらいというのが横行していたのかもしれない。

私は山形の農村育ちだが、夕方暗くなるまで遊んでいると、祖母が「人さらいにさらわれる」と怒っていた。

昨日の発表会では「桜川」「三井寺」「百萬」と三曲も子供を探し回る母親の謡だった・・・。

 

さて、私の「百萬」

百萬というのは母親の名前。

狂女となって芸をしながら、いなくなったこどもを探し回る。

狂女というのは本当に狂っているのではなく、心が高ぶってる、という意味らしい。

「なにゆえ、かように狂人とはなりたるぞ」と聞かれる。

「つま(夫)には死して別れ。唯一人(ただひとり)ある忘れ形見のみどり子に、生きて離れて候ほどに。

思いが乱れて候」と答え、こうやって舞を舞って、人がたくさん集まると、もしや子供に巡り合うことができるかもしれないと、探し回っているのです、と答え、

「これほど多き人の中に。などやわが子のなきやらん。

ああ、我が子恋しや。我が子賜(た)べのう、南無釈迦牟尼仏と」と嘆く。

 

このあたり、謡いながら涙がでそうになる。

謡は感情をいれないのもだめだが、入れすぎてもダメらしい。

謡の下手さもさることながら、舞台で涙声になったらどうしよう、と二重の心配の舞台であった。

でも、結果、お仲間にほめていただいて、ほっとした昨日でした。

 

ついでに、家を出る前に庭で撮った写真も。

ちなみに、帯は二十数年前に買った東レシルックの帯。

一番、重宝している。