夫の目的の地、宇和島に着きました。

駅前の通り。街路樹が南国ですね。

なにはともあれ、お城へ。この旅、三つ目のお城・・・。

急な坂で、昔のお侍は偉かった。やはり、奥方も裾をからげて自力で登ったのだろうか・・・と考えながら、上りました。

今回はどこのお城も桜で、本当に嬉しい。

やはり、お城には桜が似合う!

 

こちらの藩祖は仙台藩の伊達政宗の長子、秀宗。

秀吉の猶子(養子よりゆるい関係らしい)として、秀吉のもとにいたのが、徳川の時代になって、正宗、この子供をどうするか、家康にお伺いをたてた。

家康は宇和島十万石を与えたのだとか。

正宗は自分のえりすぐりの家臣とともに息子を宇和島に送る。

当時、宇和島はそれまでの城主がひどい人だったらしく、たいへんな状況だった。

正宗は6万両という大金を息子に貸した。6万両というのは当時大変な額だったらしい。

 

正宗が信頼していた家臣、山家清兵衛という人が宇和島藩の財政を立て直すことと、その六万両を仙台に返さなければならないことで、頑張った。

しかし、一般的に財政立て直しは農民からしぼりとるわけだが、この清兵衛さんはそんなことはしない。

農民はもう疲弊しきってますからね。

どうしたか、というと、士分の禄高を減らすというものだったらしく、これが支配層から大反発。

一家ごと惨殺されてしまった。

 

このあと、秀宗たちはたたりを恐れて「和霊神社」を建立。

その神社へ行ってきました。

とても端正な気持ちのいい神社でした。

禰宜さんに、このお社はいつ建てられたのですか、と聞きましたら、創建は江戸初期ですが、空襲で焼けまして、戦後の昭和25年に再建されました、と。

「まあ、食うや食わずの時代によくぞ・・・」と地元の方々のこの神社に対する思い、400年以上も経っても山家清兵衛に対する思いが息づいていたのだろう、とそのことに心打たれました。

 

しかし、歴史を知らずにただお参りしただけでは「ふーん」で終わってしまうのだなあ、と改めて「街道をゆく」を読んできて良かった、とも思いました。

 

翌朝、JRの車窓からみたゾウさん親子。藁でできてる。

 

さ~て、次は私の目的地、大分県の臼杵です。

フェリーについてはすでにアップしているので、ふぐ料理にいきます!