家の中って(外もそうですが)、ダメなこと多すぎません?

むしろダメなことしかないような…

以前、会員保護者とこんな話をしました。

すると後日、

「家で息子が繰り出すあらゆるダメを数えてみました。結果、あり過ぎて数えるのを途中で止めました。」

というご報告が。

僕はこれが日本の現状だと思っています。

そこで、今回は「ダメ」について考えてみた哲学をお送りします。




我が家の庭には、重りつきの大きな赤いカラーコーンが置いてあります。

それは当然キレイな物ではなく、特に裏側や重りの部分はかなり汚いです。

案の定、2歳の息子はカラーコーンを見るや否や、それをひっくり返して遊び出します。

また、カラーコーンの裏に車を入れたり、隠したり…

その光景を見ていた私の口から、ふと、ある言葉が出ていることに気が付いて、ゾッとしました。

それは…

「汚いからダメ!」



(そりゃあ、カラーコーンがあったら遊ぶだろ。)

(遊ぶ時間に、遊ぶ場所に、使ってはいけない物を置いとくなよ。)

まだ存分に話せないはずの息子の声がハッキリと聞こえてくるようでした。

この年代(幼児期)の子どもは遊ぶことが仕事というか、しなければいけないこと。

遊びの中で脳を鍛えます。

遊びの中で、経験値を蓄え、思考することを学びます。

それなのに、しかも大人が遊ぶ時間と決めた中で「ダメ!」と言ってしまうのは考えものです。

私は冷静になって考えました。

そこで思いついたのが

「だったら、カラーコーンをキレイにすればいいじゃん!」

他にも、触らせないを徹底する、カラーコーンをそもそも置かないといった選択肢もありましたが、キレイにしてしまえば、お互いになんのストレスも生まれません。

大人の一歩が、子どもの二歩にも十歩にもなるのです。




日常には、しつけの時間、学習の時間、運動の時間、といった様々な時間があります。

そのどこかで「○○だからダメ!」をよく使ってはいませんか?

「汚いからダメ!」「壊れるからダメ!」「危ないからダメ!」

これが噂のダメダメ三拍子…。

自分はどうだろう?

それを知る良い方法があります。

ずばり、子どもの言葉遣い。

子どもが頻繁に「ダメ!」を使っていたら、要注意。

子どもは親の鏡です。

しかし、全てのダメが罪なわけではありません。

何を目的とした時間なのかを大人が明確に理解して、その目的を阻害しないダメなら問題ないでしょう。

ここが肝心!

ダメの下手な使い方を知ることで、ダメの使い方が上手になります。

下手な使い方を例に挙げると…

野球をしているのに、危ないからバッドを振ってはダメ!

極端ですが、意味不明ですよね。

これでは野球は絶対に上手くなりません。

目的と言動が一致していないのですから。

僕がこれを言われたら、面白くないので野球を辞めます…



言葉は薬と同じで、用法容量を守らなければ、毒にもなるのです。

子どもの経験する機会を奪わないよう、未来への可能性を早期に潰してしまわないよう、ダメの使い方を磨いていきましょう。


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「うちの子、天才!」

「プロになれる!」 

親であれば我が子が幼い頃、誰もが一度はそう思ったことがあるでしょう。

しかし、現実はそんなに甘くなく、大抵の人が成長するにつれその灯は細くなっていき、最後には消えてしまうものです。

これがまだ、人の記憶として残らない3歳〜4歳未満であればまだ良いのですが、それ以降の話であれば辛いのは子どもたち。

子どもという生き物は「親の期待に応えたい!」常にそう思っているからです。

これがよくある「親の期待値と子どもの実力のギャップ」が子どもの意欲を低下させるパターンです。


「いやいや、うちはそんなに期待はしてないですよ!」と思った方も中にはいるはず。

では、跳び箱や鉄棒や縄跳びはどうでしょう?

それらが期待よりも下回っていたとき「それくらいできなきゃ!」と思ってつい心無い言葉をかけていませんか?

「○○くんはできるのに…」 

「え、それしかできないの…」

 ボソッとつい出てしまった言葉でも、これは殺人レベル…

子どもの人生すら変えてしまうくらいの爆弾なので要注意です。

仮にこの何気ない言葉を何度も何度も、何年にも渡り蓄積していったら…

恐ろしいので、思考を止めます。

勉強も同じですね。

意欲が極限まで低下していけば、いよいよ「嫌い」にご対面。

当たり前のことですが、一度嫌いになったらやりません。

結果、できるようにはなりません。



過度な期待は失敗したときのリスクが高過ぎます。

できるだけ「嫌い」が少ない方が、人生が豊かになるのはまず間違いありません。

ですから、あえてそれを作りにいく必要はないということです。

どちらかと言うと、特に子どもに言う必要はないと思いますが、期待値よりも「最低値の設定」をした方が子どもの伸びしろは確保されるかもしれません。

最低値以下なら「一緒に頑張る。」または「できなくても楽しんでいればOK!」などと、事前にどうするのか決めておく。

最低値以上なら、「すごい!その調子!」だけ言う。

あとは勝手に伸びていくから。

それ以上の声かけは本人の意思しだい。


以上をまとめると「子どもの意欲をキープすること」これはどんな時でも念頭に入れておきましょう。

もともと意欲があるのが子どもという生き物です。

最後にもう一度、何か選択に迷ったときは「子どもの意欲」が最強の判断材料です!

意欲があればなんでもできる!
 

※写真は全て昨年のものです。

そもそも運動はなんのために運動をするのでしょうか。

好きだから?

園や学校でやらなきゃいけないものだから?

1番になるため?

プロのスポーツ選手になるため?

お金を稼ぐため?

いえいえ、大半は健康のためです。

つまり、人生を豊かにするためです。

それなのに、幼児期に結果を求める指導や、厳しい指導が優先されると、子どもの意欲はなくなります。

心の底から「楽しい」を感じることができれば「前向きな運動観」が育まれます。

つまり、運動意欲が高まるということ。

そんな人は「スポーツを卒業する」という概念はないでしょう。

なぜなら、運動は一生続けることが当たり前と思っているから。

まさに「呼吸」と同じような感覚ですね。


例えば、ご飯をたくさん食べ体を作り、鬼のような努力をして、甲子園を目指す高校球児がいます。

しかし、最後の夏の大会が終わると、野球をぱったりと辞め、食べる生活習慣だけが残ります。

その先の人生には何が待っているでしょうか?

…そうです、人類の敵、生活習慣病が口を開けて待っています。

「肥満の世界にようこそ。」と。

これではただの思い出作りになっただけ。

人生100年時代といわれる今日、健康寿命をどれだけ伸ばせるかが、人生を豊かにする秘訣です。

健康と運動は表裏一体の関係です。

運動を心の底からから楽しめる人になりましょう。

「子どものため」と思って読んでいて「ドキッ」とされた大人の方も多いのではないでしょうか?

でも、大丈夫。

気付けた今がチャンスです。

一人では重い腰が上がらなくても、子どもと一緒なら楽しく頑張れます。

ぜひ、一緒に体を動かし、運動を楽しむ心を育みましょう!