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米中海戦はもう始まっている――中国空母〈遼寧〉に接近せよ

いま発売中の話題書から、第1章の全文を特別公開!!

             

                米中海戦はもう始まっている 21世紀の太平洋戦争

                マイケル・ファベイ(著),徳地 秀士(解説),赤根 洋子(翻訳)

                  文藝春秋    2018年1月29日 発売

 

◆いま発売中の話題書から、第1章の全文を特別公開!!

自国の空母から半径45キロ圏内を一方的に「航行禁止海域」に指定した中国。この暴挙に対し、一隻の米軍艦が南シナ海に派遣された。「航行禁止海域を無視し、中国空母に接近せよ」。そのミッションに、世界の「航行の自由」がかかっていた。

(出典:『米中海戦はもう始まっている 21世紀の太平洋戦争』第1章)

 

◆ ◆ ◆

 

 12月の穏やかな、ほとんど雲のない日だった。米軍艦〈カウペンス〉は南シナ海の危険な海域を単独で航行していた。臨戦態勢の将校及び乗組員400名を乗せ、〈カウペンス〉はアメリカ国旗をはためかせ、高速で目標に接近していた。

 

 その日の目標は、中華人民共和国の国旗を掲げる空母だった。そして、〈カウペンス〉の乗組員にとって、それは演習ではなかった。

 

〈カウペンス〉はタイコンデロガ級誘導ミサイル巡洋艦だ。美しさと力強さを兼ね備えている。全長およそ170メートル。上部構造が低く、船体はほっそりしている。最高時速およそ60キロメートル。海上で体感する時速60キロメートルは、陸上のそれより遥かに速い。船体を伝わる8万馬力の推進プラントの振動、艦首に砕ける白い水しぶき、誇らしげに翻る星条旗。甲板に立っていると、まるで9000トンの生き物の背中に乗っているような気分になる。アメリカ海軍の水上艦乗組員にとって、〈カウペンス〉は美しい船だ。

南シナ海を航行するミサイル巡洋艦〈カウペンス〉 ©U.S. Navy

南シナ海を航行するミサイル巡洋艦〈カウペンス〉 ©U.S. Navy

 だが、美しさは二次的なものだ。〈カウペンス〉の第一の目的は破壊なのだ。

 

 そのためにミサイルが搭載されている。100発以上ものミサイルが主甲板下の積載ラックに収納されるか、あるいは甲板上の発射装置に固定されている。対空ミサイル、対艦ミサイル、ミサイル迎撃ミサイルと、攻撃及び防御用のさまざまなミサイルが用意されている。1600キロ彼方の陸上の目標を破壊できる、1発100万ドルのトマホーク巡航ミサイルもあれば、水平線の彼方の敵艦に250キログラムの高性能爆薬をぶち込める超低空飛行のハープーン・ミサイルもある。潜航中の敵潜水艦を追尾して撃沈できるアスロック対潜ミサイルも搭載されている。さらに、80キロメートル彼方の敵機を撃墜できる艦対空ミサイルもある。

 

 それだけではない。目標が比較的近距離の場合――たとえば、敵に占拠された島への上陸作戦を支援する場合など――のために、24キロメートル離れた場所に70ポンド[約32キログラム]の砲弾を撃ち込める5インチ砲が2門、艦首と艦尾に装備されている。さらに接近戦になった場合――たとえば、急接近してくる敵の小型高速砲艦と渡り合う場合など――のためには、ブッシュマスター25ミリ機関砲が2門と50口径機関銃2挺が装備されている。いよいよ本格的な戦闘になり、敵のミサイルが迎撃システムをかいくぐってマッハ2の猛スピードで飛んできた場合には、“毎秒”75発の砲弾を発射してミサイルを粉砕する20ミリ機関砲ファランクスがものをいう。

 

 それはもう驚異的な火力だ。実際、タイコンデロガ級巡洋艦は史上最強の軍艦となるべく設計されている。敵を威圧し、畏怖の念を吹き込み、必要とあらば壊滅的な打撃を与えることを意図して設計されている。〈カウペンス〉がその日、南シナ海のその場所へ派遣されてきたのはそのためだった。

 

 とにかく、理論上はそのはずだった。だが、実情は見た目とはかなり違っていた。

 

 

南シナ海で「戦闘準備態勢」を整えた米軍艦〈カウペンス〉         

 

 日の当たる艦橋と、さまざまな装置のディスプレイが緑色のほの暗い光を放っている戦闘指揮所(CIC)の間を、〈カウペンス〉の大量の兵器とそれを操作する乗組員の命と生活を一任されている男が行ったり来たりしている。グレッグ・ゴンバート艦長だ。198センチの長身で痩せ型、目は青く、褐色の髪は縮れている。海軍の新しい作業服の青いカバーオール姿だ。熱意とやる気と自信に溢れる彼は、〈カウペンス〉とその乗組員を、そして自分自身を懸命に駆り立てている。中西部の厳しいカトリックの家庭で育ち、義務と勤勉という観念が頭に染みついている44歳のゴンバートは、何事によらずこれまで失敗したことがない。だから、このミッションに失敗するつもりは毛頭ない。

 

 落ちついた低い声で、ゴンバートは当直将校の若い大尉に短い言葉を伝える。するとすぐさま、艦内のあちこちのスピーカーからその言葉が鳴り響く。

 

「モディファイド・コンディション・ゼブラ態勢、モディファイド・コンディション・ゼブラ態勢」

 

 命令を聞いて乗組員が艦内を走り回り、水密ハッチを閉じ、バルブを閉める。ダメージコントロール班及び消火班がスタンバイし、ソナーやレーダーや電子機器のオペレーターは一層気を引き締めてディスプレイを見つめる。上級兵曹らがあらゆるシステムを再点検する。コンディション・ゼブラとは、「総員配置(GQ)」に次ぐ、海軍の2番目に高い戦闘準備態勢を表す言葉だ。GQは攻撃が差し迫っている状態であり、コンディション・ゼブラはまもなくそうなるかもしれないという状態だ。

 

 ほんの数分後には準備が整った。その様子を艦橋から観察し、各部署からの準備完了の報告を聞いても、ゴンバートは完全には満足できなかった。乗組員がベストを尽くしているのは分かっている。だが、何と言っても時間が足りなかった……。

 

 

巡洋艦こそ現代海軍の花形                            

 

 20年のキャリアを持つゴンバートは海軍の出世頭だ。ただし、彼はいわゆる「リング・ノッカー」(アナポリスの海軍兵学校出身者)ではない。ノートルダム大学の海軍予備役将校訓練課程を経て、海軍に入った。それでも、非の打ち所のない経歴の持ち主であることには変わりなく、今後さらに昇進するために必要となる経験をすべて積んできている。就役間もない駆逐艦〈グリッドレイ〉の艦長を初めとして、フリゲート艦や駆逐艦の艦長を務めた経験を持ち、その間に修士号を取得し、昇進に必須となるペンタゴンでの4年間のデスクワークもこなしている。〈カウペンス〉の艦長に任命されたのは半年前だ。

 

〈カウペンス〉の艦長と言えば、水上艦将校にとって最高の出世であることは間違いない。アメリカ海軍の現役将校は5万5000人いるが、その中で軍艦の指揮を任されている者は300名に満たない。それは並外れた名誉なのだ。もっとも、給与水準からはそうは感じられないかもしれない。軍艦の指揮官の基本給は、階級と勤続年数にもよるが、年に8万ドルから12万ドル。ウォルマートの店長クラスだ。だが、カネ目当てで海軍に入る人間はいない。

 

 そして、その300名足らずの軍艦指揮官のうち、〈カウペンス〉のような誘導ミサイル巡洋艦の艦長はゴンバートを含めてわずか22名。第二次大戦で活躍したような旧式の戦艦はとうの昔にすべて退役し、スクラップにされたり洋上博物館になった。今や巡洋艦が海軍の新しい花形だ。艦長という海軍のエリート集団の中でも、巡洋艦の艦長は特別な存在なのだ。

 

 たしかに、潜水艦の艦長たちもエリート集団だ。だが、潜水艦の仕事は身をひそめてこっそり情報を収集したり、ミサイル発射の命令を待つことだ。潜水艦は力を誇示したり、敵を威圧するための船ではない。また、空母のほうが巡洋艦よりも大きいし、空母の艦長のほうが目立つことも事実だ。だが、空母は決して単独では行動しない。空母は必ず空母打撃群を形成し、他の軍艦に守られながら行動する。空母の艦長は空母を指揮するが、同時に、空母打撃群を指揮する最高司令官の指揮下に置かれる。空母の艦長の裁量権はかなり厳しく制限されているのだ。

 

 巡洋艦の艦長は違う。巡洋艦は空母打撃群の一翼を担うことも多いが、単独で“一匹狼”的ミッションをおこなうこともできる。海軍高官や海軍官僚機構から数千キロメートル離れた場所で、紛争地域から紛争地域へと急行することもできる。巡洋艦こそが前線であり、槍の穂先なのだ。このような船のこのようなミッションを指揮することは、野心的な若い海軍将校の夢だ。グレッグ・ゴンバートにとってもそれは同じだった。

 

 にもかかわらず、2013年12月5日のその日、南シナ海の中国海軍空母へと接近していく〈カウペンス〉艦上で、グレッグ・ゴンバート艦長は直面する問題の数々に思い悩んでいた。

甲板の先端部分が傾斜した特異な形状の空母〈遼寧〉 ©getty

甲板の先端部分が傾斜した特異な形状の空母〈遼寧〉 ©getty

 

副艦長不在、若手と「小心者」ばかりの艦内     

 もちろん、いやしくもアメリカ海軍艦艇の指揮を執(と)ろうとする人間にとって、問題(海軍将校の用語では「課題[チャレンジ]」という)は日常茶飯事だ。装備は故障するし、コンピュータ・システムは不具合を起こすし、人間はミスを犯す。そして、そのすべての責任は艦長にある。ナットやボルトのねじ山がつぶれていることも、マイクロチップが読み取れないことも、ブートキャンプを出たての18歳の新兵が使い物にならないことも。海軍の世界では、軍艦内で何か不都合なことがあれば、それは単に艦長の責任というだけでは済まない。それは艦長の“落ち度”、ということになるのだ。

 

 艦長が船室でぐっすり眠っている間に、下級将校の不注意のせいで、海図に載っていない砂州に船が乗り上げてしまったとしたら? それは艦長の落ち度だ。機関室の視察のために艦長が船倉に降りていた間に、こっちに向かってくる小さな漁船を経験の浅いレーダー・オペレーターや艦橋監視員が発見し損なったとしたら? それは、船のメンテナンスと乗組員の訓練を怠った艦長の落ち度だ。そして、もし深刻な人的・物的損害が発生したら、艦長は陸に上がるしかない。

 

 これが、アメリカ海軍の艦長が受け入れなければならない厳しいシステムなのだ。一見何でもないことのように思われる些細(ささい)な問題でもキャリアを台無しにしかねないことを、彼らは知っている。

 

 だが、ゴンバート艦長が抱えている問題は標準を遥かに超えていた。

 

 まず、乗組員の問題があった。340名の乗組員は、入隊2~3年目の20代前半の若者と高校卒業後わずか半年のティーンエージャーばかりだった。たしかに、彼らは真面目で熱心だ。一生懸命努力している。だが、彼らは〈カウペンス〉に乗り組んでまだせいぜい10ヶ月だし、しかもその10ヶ月の大半の間〈カウペンス〉は入港中で、海上には出ていなかった。他のタイコンデロガ級巡洋艦に乗り組んだ経験のある者もいるにはいるが、彼らにしても〈カウペンス〉特有の癖を飲み込んでいるわけではない。感覚で分かるという状態にまだ達していないのだ。

〈カウペンス〉から発射されるSM-2 ©U.S. Navy

〈カウペンス〉から発射されるSM-2 ©U.S. Navy

 それは、27名の上等兵曹も同じだった。どんな軍隊組織でも、上等兵曹のような下士官は中心的な存在だ。彼らは経験豊かだし、頼りになる。駆逐艦や巡洋艦に乗り組んで過去10年間、西太平洋各地を転々としてきた者もいる。だが、彼らにしても〈カウペンス〉での経験は長くない。言ってみれば、引っ越してきたばかりの町で生活し、仕事をしているような状態だ。

 

 下級将校32名にもやはり限界がある。ゴンバートは、副艦長を「著しく統率力に欠ける」としてすでに事実上解任していた。これは、特に海上展開中の艦長の行動としては異例だった。またこれは、ゴンバートが断固たる措置を取り得る艦長だということを示す行動でもあった。そんなわけで目下、〈カウペンス〉には副艦長がいない。その分、艦長の肩にかかる荷はさらに重くなっている。ゴンバートの目には、他の下級将校(20代半ばから30代前半の男女)は優柔不断で自信に欠け、責任ある任務を進んで引き受けようとしないように見えた。古臭い表現を使うことのあるゴンバートは、彼らのことを「小心者」と表現したことがある。

 

「ウィンドウズ2.5」のような時代遅れのイージス・システム          

 それから、〈カウペンス〉自身にも問題があった。危機が起きるのは時間の問題だった。

 

 他のタイコンデロガ級巡洋艦と同じように、〈カウペンス〉という艦名も戦場になった地名に因(ちな)んでいる。「カウペンスの戦い」とは、独立戦争中の1781年、サウスカロライナ州の小さな町カウペンス近郊でアメリカ軍がイギリス軍に勝利した重要な戦いのことだ(カウペンスが「牛の放牧場」という意味を持つところから、巡洋艦〈カウペンス〉の愛称は「マイティ・ムー」〈巨大な牛〉という。ウシつながりで、乗組員全体が「地響きを立てる牛の群れ」と呼ばれることもある)。

 

1991年に就役した〈カウペンス〉は、20年以上にわたって激しい任務に耐えてきた。半年前まで、〈カウペンス〉は予備役に移行したのち、オーバーホールする[部品単位まで分解して、点検・修理する]か退役させるかが決定される予定になっていた。ところがそのとき、アメリカ政府がいわゆる「アジア重視政策」を発表した。経済、外交、軍事の軸足を中東からアジア・西太平洋地域に移す、という政策である。そこで、西太平洋地域における戦力投射と国力誇示のために〈カウペンス〉が使われることになった。700万ドルをかけてサンディエゴでほとんど上辺だけの応急修理がおこなわれ、9月、〈カウペンス〉とその新しい乗組員は西に向けて出港した。

サンディエゴに到着した〈カウペンス〉 ©U.S. Navy

サンディエゴに到着した〈カウペンス〉 ©U.S. Navy

 

 だから、〈カウペンス〉は“見た目”は立派だった。甲板と上部構造はピカピカだったし、乗組員はダークブルーの制服に野球帽姿でビシッと決めていた。〈カウペンス〉は颯爽(さっそう)と海原を疾走していた。だが、内部となると話は別だった。内部の機械装置は老朽化していたし、電気配線や光ファイバーはごっそり取り替える必要があった。さらに悪いことに、〈カウペンス〉に搭載されているイージス戦闘システム(相互接続されたレーダーとソナーとコンピュータ・システムとミサイル発射装置を使って目標を特定、追尾、破壊する、複雑な艦載武器システム)は時代遅れの代物だった。〈カウペンス〉の若い乗組員らは、もっと高性能の最新式イージス・システムに慣れ親しんでいる。彼らにとって、〈カウペンス〉の時代遅れのイージス・システムを操作することはウィンドウズ10からウィンドウズ2.5に逆戻りするようなものだった。彼らはまだそれをちゃんと取り扱えるようになっていない。

 

 充分な時間を与えられれば、〈カウペンス〉の乗組員と時代遅れのイージス・システムはミサイルを発射できるようになるだろうか? 確実にできるだろう。敵の対艦ミサイルが1~2発飛んできたら、〈カウペンス〉は防御できるだろうか? ほぼ確実にできるだろう。だが、突然「乱交パーティー」状態になったら、つまり、何十発もの地対艦・艦対艦ミサイルが同時に飛んできたら、そのすべてを特定し、追尾し、破壊することができるだろうか? 絶対無理だ。もしもこのミッションが失敗し、敵のミサイルの乱打を浴びるようなことがあれば、〈カウペンス〉は深刻な状況に陥るだろう。ゴンバート艦長にはそれが分かっていた。そして海軍にも、それは分かっていた。

 

 さらに、〈カウペンス〉にはこんな問題もあった。表向きは、ほとんどの海軍将校がそれを単なる迷信と片付けるだろうが、多くの乗組員が〈カウペンス〉は不吉な船だと感じている。実際、艦長のキャリアにとって〈カウペンス〉は本当に呪(のろ)われた船だと言う人もいる。

 

 前年の2012年、〈カウペンス〉の当時の艦長は別の海軍将校の妻と不適切な関係を持ったとして即刻解任された。海軍は公式にはそれを「将校に相応(ふさわ)しくない行為」と表現し、海軍将校らは「ジッパーの誤作動」と呼んでいる。その2年前には、女性で初めて巡洋艦の艦長になった〈カウペンス〉艦長ホリー・グラフが、部下に対する暴言及び肉体的虐待の廉(かど)でやはり即刻解任されている。将校や乗組員らは、「艦長に突き飛ばされたり押しのけられたりした」「罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられた」「悪さをした子どものように隅に立たされた」などと艦長のパワハラについて訴えた。「ホリブル・ホリー」「海の魔女」などというタイトルでメディアを賑わしたこのニュースは、〈カウペンス〉の名に暗い影を投げかけた。海軍軍人の間で〈カウペンス〉は、星回りの悪い船、キャリアを台無しにする船として取り沙汰されていた。

 

 だが、南シナ海を進む〈カウペンス〉の艦上でゴンバートが考えていたのは悪運や呪いのことではなかった。その後彼の身に降りかかったことを思えば、そうすべきだったと言えるかもしれないが――。だがそのとき、彼の意識は目下のミッションに集中していた。

 

 

中国空母〈遼寧〉の南シナ海への進出を牽制せよ              

 そのミッションは不確定要素に溢れていた。そして、肉体的な危険と職業上の危険に満ちていた。

 

 表向き、それはシンプルなミッションに見えた。中国海軍の空母〈遼寧〉が南シナ海の公海上で初めての空母特別部隊演習をおこなうため、海南島の港から出撃しようとしていた。ハワイに司令部を置く太平洋艦隊と日本に司令部を置く第七艦隊の上層部は〈カウペンス〉に、〈遼寧〉とその護衛艦を追尾し、その運用方法や航空機の発着艦を観察して性能を探り、情報を収集せよと命じた。

 

〈カウペンス〉ならその命令を難なくこなせるだろう。〈カウペンス〉の電子機器は旧式かもしれないが、〈遼寧〉が発する電磁波をキャッチし、無線通信を傍受することはできる。〈カウペンス〉に搭載されているシーホーク・ヘリコプター2機は、飛行甲板から飛び立って〈遼寧〉の付近でホバリングし、映像や写真を撮影したり状況をモニターすることができる。

シーホーク・ヘリコプター ©U.S. Navy

シーホーク・ヘリコプター ©U.S. Navy

 

 こうしたオペレーションは、世界中の海軍が他国の艦艇に対しておこなっている。ただし、それを何と呼ぶかは場合によって違う。基本的なルールは、「我々がやる場合は情報収集。他の奴がやる場合はスパイ行為」。だが、公海上でおこなわれる限りは、それは国際法に照らして完全に合法的な行為だし、慣例として昔から受け入れられてきた。

 

 だが、〈カウペンス〉のミッションは、単に中国空母に対して情報収集活動(ないしはスパイ行為)をおこなうことではなかった。そこには政治的目的もあった。南シナ海への〈遼寧〉の進出は、その地域における中国海軍のプレゼンスのさらなる増大を意味する。中国海軍のこのプレゼンスに、アジア太平洋地域のアメリカの友好国及び同盟諸国は心底恐怖を感じている。

 

フィリピンもインドネシアもオーストラリアも日本も韓国もタイも台湾もマレーシアも、さらには社会主義国であるベトナムさえもが、中国海軍が南シナ海のみならず西太平洋全域に活動範囲を拡大していることに深い懸念を抱いている。

 

そして、アメリカがそれにどう対処するつもりかを知りたがっているだから、〈カウペンス〉の第2のミッションは、アメリカの関与を鮮明に示し、アジア太平洋地域の同盟諸国やその他の国々を安心させることだ。〈遼寧〉の近くに姿を見せることで、「保安官(アメリカ海軍)は今でも街にいる」とみんなに知らせるのだ。

 

 これも、〈カウペンス〉には難なくこなせそうだった。ただ、今回、深刻な事態を引き起こす可能性のある事情が2つあった。

 

世界第2の海軍国、中国のシンボルである〈遼寧〉              

 まず、〈遼寧〉は中国海軍にとってただの空母ではなく、中国海軍“唯一”の空母だ。中華人民共和国と人民解放軍海軍の歴史上初の空母なのだ。〈遼寧〉は中国国民の誇りであり、「強大な海軍国となった中国は、いよいよ世界の舞台に乗り出すぞ」という宣言なのだ。過去10年の間に、中国はすでに軍艦の総トン数ではアメリカに次いで世界第2の海軍国になったし、現在、空母を除けば、西太平洋地域ではほぼ間違いなくアメリカと肩を並べる海軍力を保持している。新たな空母計画によって、中国は、太平洋地域の支配的海軍国になるための長期計画に着手しようとしている。

 

 中国政府にとって〈遼寧〉は単なる船ではない。それはシンボルなのだ。

 そして、そう感じているのは中国政府だけではない。アメリカの空母の名前を一つでも言えるアメリカ人はあまり多くないだろうし、その艦長の名前に至ってはほとんどの人が一人も挙げられないだろう。だが、中国では10億人以上の国民が〈遼寧〉という艦名と、その艦長の名前「張崢」を知っている(ちなみに、張艦長の妻は上海電視台で朝のトークショーを担当している人気司会者だ)。〈遼寧〉の甲板員がジェット機の発着艦をサポートする映像が中国のテレビ番組で紹介されると、片膝をついて腕を振るそのポーズを真似た「空母スタイル」ダンスが、「江南スタイル」に代わって中国の若者のソーシャルメディアを席巻した。

 

 つまり、中国国民にとって〈遼寧〉は国の宝であり、その艦長はロックスター並みの人気者だということだ。公海上でアメリカの軍艦が挑発的な態度で接近したりして、この中国の宝が侮辱されたら(もしくは、侮辱されたと中国国民が感じたら)、ただでは済まないだろう。

 

〈遼寧〉から半径45キロ圏内を「航行禁止」と宣言した中国         

〈カウペンス〉とそのミッションには、さらにもう一つ複雑な事情があった。〈遼寧〉とその護衛艦を西側の好奇の目から保護しようとして、中国政府は航行中の〈遼寧〉から半径45キロメートル圏内を「航行禁止」海域に指定していた。〈遼寧〉の艦長の許可がなければ、船舶及び航空機は軍用・民間を問わずこの航行禁止海域へ立ち入ることはできない、と宣言したのだ。〈遼寧〉の艦長がアメリカの軍艦に立ち入り許可を与えるはずはない。

 

 まったく言語道断な話だった。

 

 たしかに、アメリカの空母打撃群も航行中は航行禁止海域を指定する。漁船の底引き網に進路を妨害されたりしては困るからだ。そこで、空母の艦長は、空母打撃群から数キロメートル離れていてくださいと他の船舶に丁重に申し入れる。

 

 だが、中国は立入禁止海域をまったく新しいレベルに持っていこうとしている。45キロメートル圏内だって? それでは水平線の彼方だ。中国は事実上、公海上で6000平方キロメートル以上もの範囲にわたって主権を主張しようとしているのだ。その主張は、国際海洋法にも航行の自由の原則にも違反している。かつて7つの海を支配していたイギリスでさえ、そのような暴挙に出たことはない。こんな主張がまかり通れば、中国海軍はいずれ、日本海や台湾海峡でも同じように6000平方キロメートルの航行禁止海域を主張してくるだろう。ついでに言えば、アメリカ西海岸沖の、アメリカの領海すれすれの太平洋上でも同じ主張を展開するかもしれないのだ。

黄海を航行する中国初の空母〈遼寧〉 ©getty

黄海を航行する中国初の空母〈遼寧〉 ©getty

 経済活動にとって非常に重要な南シナ海を独占しようとして、中国はこれまで、アメリカを含む諸外国に対して数々の敵対的行動を取ってきた。今回の航行禁止海域指定も、実は単にその一環に過ぎない。中国は、南シナ海を中国の湖に変えようとしている。〈カウペンス〉を南シナ海へ派遣し、〈遼寧〉に異議申し立てをすることによって、アメリカ海軍は中国に、「アメリカはそんなことは認めない」と宣言しようとしているのだ。

 

米海軍内での対中融和論と強硬論の対立                   

 とにかく、それが海軍の公式の姿勢だった。だが実は、ハワイの太平洋軍司令部やペンタゴンの意志はそこまで固いわけではなかった。アメリカの軍艦が航行禁止海域を無視して迫ってくるのを見たら中国側がどんな反応を示すか、結局のところ誰にも分からなかったからだ。たしかに、海軍は中国に航行禁止海域を撤回させ、航行の自由というルールを尊重させたいとは思っている。ナーバスになっている西太平洋地域の同盟諸国に、アメリカが中国に歯止めをかけようとしていることを示したいとも思っている。だが、関与を示すためにアメリカはどこまでやるべきなのだろうか。

 

 この問題をめぐっては、海軍及びペンタゴン背広組の最高幹部の中で意見が2つに分かれていた。それぞれの派閥は相手にあだ名を付けていた。中国に対して融和的で控えめな態度を取ろうとする派閥は、「パンダ・ハガー(パンダ好き)」と揶揄(やゆ)されていた。アメリカの海軍力を見せつけてアグレッシブに対応しようとする派閥には、「ドラゴン・スレイヤー(竜殺し)」というあだ名が付けられていた。〈カウペンス〉が南シナ海へ向けて出港したとき、パンダ・ハガー対ドラゴン・スレイヤーの論争はまだ決着がついていなかった。

 

 その結果、ゴンバート艦長は、融和派と強硬派の双方の意見が入り混じった、曖昧さの見本のような命令を受け取ることとなった。中国側の言う半径45キロ圏内の「航行禁止海域」を無視して〈遼寧〉に接近せよ、だが同時に、「緊張緩和的な姿勢」を保つべし、と命じられたのだ。5キロメートル以内にまで〈遼寧〉に接近せよ。ただし、接近しすぎてはならない。1.5キロメートル以上の距離を保つこと。〈遼寧〉の艦長と無線で連絡を取る場合は、毅然とした断固たる態度で臨むこと。ただし、「誠実かつ丁重に」対応すること。彼らを怒らせないように注意すること。

 

 要するに、ゴンバートが受け取った命令とは、「〈カウペンス〉と乗組員を率いて危地へ赴け。ただし、そこで厄介なことを起こさないでくれ」ということだった。

 

 2013年12月のその日、グレッグ・ゴンバート艦長が南シナ海で直面していたのはこのような状況だった。老朽化した船と経験不足の乗組員を率い、玉虫色の命令を携えて、尊大で予測不能な敵の待ち受ける危険な水域へとたった一隻で向かっているのだ。

 

 そして、このミッションの結果が、太平洋が今後も「アメリカの海」であり続けられるかどうかを決めることになるかもしれないのだ。

(翻訳:赤根洋子)

 

米中海戦はもう始まっている 21世紀の太平洋戦争

マイケル・ファベイ(著),徳地 秀士(解説),赤根 洋子(翻訳)

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