今更ながら貨幣、マネー社会にドップリと浸かってしまった我々には想像するなは難しいのかも知れませんが、マネーという一見便利なような人間の編み出した価値基準、これが一切無い社会生活とはどんなものだろうと考えて見ました。



マネーの無かったであろう縄文人の社会はそれぞれ各人が、農作が好き、家を建てるのが得意、土器造りが好き、衣装作るのが楽しい、などで社会での役割を自由に決めていました。


そんなシステムですが、それが一万数千年も続き争いは生まれなかった。


恐らく物々交換なども無かったのではないかとおもわれます。


現代で実現していたらどうなるのでしょう。


各自がやりたい仕事、家事や子育ても当然入りますが、する。



お腹が空いたら無料スーパーか農業、漁業者から好きな食べ物を貰い、家賃の無い自宅に戻り、無料提供のガスで調理して食べる。


その人の仕事は自動車メーカーで組み立てをしているとしましょう。


当然給料やボーナスはお金が無いから有りません。


一応メーカーの責任者からラインを計画通り動かす為に、この時間帯で仕事してくれと頼まれていて、仕事をする。


メーカーに部品を納められても部品メーカーからは無償提供される。


子供が学校に行けば、無償の先生が教えてくれる。



国家は教育が最低限必要なレベルを決めていて、学校の建設を建築会社に要請してもちろんそんな予算というものも無いから、「よし!学校建設を請け負おうじゃないか。」という建築屋がいる。


なんて感じになるのでしょうか?


まだこれが序章ですので、お金が無い世界を色々とこれから書いてみようかと思います。