シベリア抑留と言う事件を聞くと
戦後ソビエトに連れて行かれ、
寒さを凌ぎながら強制労働をさせられた
日本の軍関係の方々で
よく耐え忍んで帰って来られたものだな!
という気持ちが強いです。



シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、第二次世界大戦終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソビエト連邦(ソ連)によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称である。ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5千人に上る。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万5千人が死亡した[

以上はウィキペディアより。

実は日本陸軍の参謀部の人間が、共産思想に染まっていたのがかなり居て、
ソビエト軍が満州に侵攻する事を知りながら、日本も共産化されるのを望んで、57万人もの軍人達を彼らを労働力として差し出した、と言う恐ろしい歴史が!

瀬島龍三 陸軍中佐

大本営参謀部や、関東軍参謀として陸軍の中枢を歴任しています。
第二次大戦前から日本は不況に喘いでいて、
ソビエトのような計画経済なら、貧しい人が居なくなると考えて、共産思想に染まって行った。

現在の日本共産党もそうですが、日本が共産国に占領された後、共産国家になると言う基本理念があります。

日本がソビエトに侵略されれば、日本は理想国家に成れると信じて行動したのだと思います。

彼のウィキペディアを見ますと、一応は自分もシベリア抑留されていた、と書かれて居ますが、検証可能な文献無しであり定かでは無いとも書いてあります。


数多くの日本人が長年寒さに震えて耐えていた!
事を考えると、共産主義の欺瞞に憤りを感じ得ません!

でも亡くなった日本人は一割(それでも大変気の毒ですが)で済んでいたのを、
ドイツ軍がスターリングラード包囲戦で捕虜になって強制労働させられたのが、約10万人でして、後にドイツに生き残って帰れた人が6000人しか居ない事実からすると、


何かしらの密約が赤化していた日本陸軍の参謀らと、ソビエトにあったと考えても不思議では有りません。

ドイツ軍の捕虜は病気で動けなくなると、即射殺されました。

日本のシベリア抑留の方々は、まだ人間らしい扱いが有った所が見られますから。

今は亡くなられましたが、私の知人にもシベリア抑留経験者は居ました。

今になれば、その時の話をもっと聞いて置けば良かったと思います。

なおこの瀬島龍三中佐は、後に伊藤忠商事の社長にまで成り、田中角栄元総理のアドバイザーなど、政治の世界にも関与していました。